LUCK COMING ～いつもそばに猫がいた～｜リアクション

LUCK COMING ～いつもそばに猫がいた～

「くく、蛇に睨まれた蛙とはこのことですね」
　義母・香蓮の雪女の如き笑みに晒され、芹香は「ちょっと遊びに」とか「悪いことはしてないって」とか言っている。が、瞳はぐらぐら落ち着かないし、語尾は尻すぼみだし、落ち着かないったらありゃしない。
　こんな裏通りで出くわすってことは、大方、暇に飽かせてマタ工の不良仲間とつるんで、寝子高のやつらにちょっかいでもかけてやろうかと繁華街をブラついていたのだろう。
　言いたくないことの一つや二つはやらかしたに違いない。
　志桜里が芹香を横目にずっとくすくす笑っているものだから、芹香は歯の奥のほうから絞り出すようにドスを効かせた声を出した。
「その笑い方気に障るからやめて、パンＴ」
「そっちこそ。その綽名、やめてと言ってるよね」
「やめろと言われるとやりたくなるのよね。パンＴパンＴパンＴパンＴ」
「ああ……よくわかったわ。貴女の頭蓋骨の中が空っぽだということが」
「ちょっと。喧嘩売ってんの？　買うよ私は」
　志桜里と芹香の間に散る火花。
　並みの女子ならビビって逃げ出すところであろう。
　だが、古武術道場の面々は違っていた。
「わーい、喧嘩や」
「なんだ、やるのか」
　おもむろに道着の袖をまくりだす斐美と、腕のストレッチをしはじめる昴。獅百合は猫と戯れたまま動かないが、耳はしっかりこちらを向いている。いざ始まれば、一番ノリノリで暴れまわるにちがいない。
　喧嘩っ早い義娘と師弟たちに、香蓮はやれやれと首を振った。
「猫が怖がると言いましたでしょう。私たちはいま、猫の集会にお邪魔している身なのです。大立ち回りで猫たちの憩い場を台無しにしてはなりません。それでも死合うというのなら――」
　香蓮はにこり、右腕を突き出す。
「腕相撲です」

◇

　腕相撲は、向かい合った二人の人間がテーブルに肘をつき、互いの拳を組んで相手側へ倒す戦いだ。手の甲が土俵に着いたら負け。どんなに圧されていても手の甲さえ浮いていれば試合は続行となる。
　腕力が強ければ勝てるのかと思いきやそこは対人戦。戦略や技なども存在し、存外奥深い。
　なにやら楽しそうなことがはじまったぞ、と猫たちが遠巻きに集まってくる。興味津々、間近に見ようというのではなく、そんなに関心ありませんよ、みたいな顔をしながらチラチラと視線を寄越すところが猫らしい。
　見物客の中には、猫だけではなく人もいる。
　シオはお三夜さまと路地の隅から、エヴァは明里とコンクリート塀の上から、遠巻きに見守っている。

　公平なくじ引きののち、コンクリートの道路にトーナメント表が書かれた。
　参加者は香蓮を除く５名。２：２：１となるので、ひとりは１回戦をスキップできるシード枠となり、その枠は獅百合が取った。審判を務めるのは香蓮だ。
　どこかの店から拾ってきた木箱をひっくり返し、腕相撲の土俵にする。
「１回戦第一試合。選手は前へ」
　香蓮が厳かに告げると、出てきたのは志桜里と芹香であった。
「まさか初戦で当たるとはね」
　志桜里は口元を歪ませる。
「これが実質上の決勝戦ってわけね。手加減はしないよ、パンＴ」
　などと威勢のいいことを言っていた芹香であったが。

　始まったとたんに、ドーンという、木箱が割れるのではないかというほどの轟音が響き渡り、あっという間に決着がついた。

「はい私の勝ち」
　決勝戦もなにもない。
　芹香は腕っぷしは強くないのだ。
　ただ頑丈さは折り紙付き。
　だから本気も出せる。
「あたたー。ったく、相変わらずの馬鹿力なんだから」
　あれだけの衝撃を受けて、ちょっと痛かったな、みたいな涼しい顔で組んでいた手をひらひらとふる芹香。彼女のそういうところは、志桜里にとっては楽で、だからなんやかんやで悪友を続けているのだろう。