鴻上 彰尋が待ち合わせのシーサイドタウン駅前についたのは、約束の時間の10分ほど前の事だった。

（あおいさんはまだ……みたいだな）

　きょろ、と辺りを見回して七夜 あおいの姿がない事を確かめ、彼女を待たせずに済んだことに彰尋はほっと息を吐く。いつであっても好きな女の子を待たせたくはないものだ――まして今日は、自分からあおいを誘ったのだから。
　星ヶ丘にちょっと変わったジェラート屋さんがオープンしたと聞いたのは、少し前の事である。なんでも一般的なジェラートの他に、野菜を使ったベジタブルジェラートも食べられるのだとか。
　その時は、野菜でもジェラートが作れるんだ、という興味はあったものの「へぇ」と思うにとどまった彰尋だが、最近になってそのジェラート屋さんにはどうやら、たくさんの猫がいるらしいと聞いた。となればあおいが喜びそうだと、誘ってみたところ「面白そう！」と2つ返事で頷いてくれたのである。
　閑話休題。
　そのまま少し待っていると、ほどなくしてあおいが「彰尋くん！」と手を振りながらやって来た。軽く手をあげて応えると、ニコッと笑って小走りに駆けよってくる。
　そうしてあおいは軽く息を整えて、少し心配そうに視線を時計へと向けた。

「ちょっと遅れちゃったかな」
「いや、時間通りだよ」

　そんなあおいを安心させるように微笑んで、じゃあ行こうか、と並んで駅の中へと向かい、まずはねこでんに。それから星ヶ丘駅で降りて、目的のジェラート屋へ――

　とりとめのない事をあれこれと話しながら歩いていたら、行く手に何だか見覚えのある後ろ姿の猫がいた。きっちり身体の色が白と黒に分かれた毛並みは、遠くからでも見間違えようがない――アルクだ。
　ぱちり、目を瞬かせてから彰尋は、頬を緩ませその名を呼ぶ。

「アルク」
――んな？

　彰尋の呼びかけに、振り返ったアルクは小さく鳴くと、とてとて近寄ってきた。――どこかに行く所だったのだろうか？
　だとしたら邪魔をしてしまったかもしれないと思ったが、幸いにしてというべきか、アルクは彰尋とあおいの足元でご機嫌そうにひげをひくひく動かしている。その様子がどこか誇らしげにも見えて、そうか、と彰尋は小さく笑った。
　ひょい、とアルクの目の前にしゃがみ、尋ねてみる。

「アルク。一緒にジェラート屋に行かないか？」
――ふにゃ！

　そんな彰尋の問いかけに、アルクは少し考えるように尻尾で1つ地面を叩いてから、ぴょんと彰尋の腕の中に飛び込んで来た。そんなアルクを難なく受け止め、抱き上げると、その様子を見ていたあおいが目を細めてそっと手を伸ばし、撫でていい？　と尋ねてから嬉しそうに白黒の毛並みをもふりと触る。
　そうして再び歩き出した2人と1匹が向かう先のジェラート屋の前では、倉前 七瀬がスマホの地図と目の前のお店を見比べて、目的地が間違っていないか確かめていた。小脇には読もうと思って持ってきた本が何冊か、まとめてしっかり挟まれている。
　七瀬が大学の友人から『Gelateria Stella』の事を聞いたのは、つい数日前の事である。と言っても惹かれたのはジェラートの方ではなくて――いやもちろんジェラート自体にも興味は惹かれたけれども、それが星ヶ丘に在って、テラス席でのんびり過ごせるという話に、これは次の休みにでも行ってみよう、と思ったのだ。
　そうしてやって来たこのお店が、どうやら友人が言っていたジェラート屋で間違いないらしい。それを確かめスマホをしまうと、七瀬は小脇に挟んだ本を抱えなおし、はたと気付いてそれらをカバンに仕舞った。
　ふぅ、と息を整えて、そろりと辺りを見回す。誰かと待ち合わせをしているわけではないけれど、この星ヶ丘には七瀬の大好きな、ウォルター・B先生が住んでいるはずだった。
　だから、あわよくば偶然会えたりしないかな、と思って。ここに辿り着くまでにも実の所、人ごみの中に居たりしないかと探したりしていて――
　ゆえに期待と諦めの入り混じった眼差しで辺りを見た、七瀬はけれども通りの向こう側を歩いて行く人の中に、見覚えのある、会いたかった人の姿を見つけて目を見開いた。ドクン、耳元で心臓が大きく音を立てる。

「ウォルター先生！」
「――おやぁ、倉前？　偶然だねぇ」


　上ずりそうな声で思わず呼びかければ、気が付いてくれたウォルター先生が七瀬の方を振り返って、そう笑った。それにすごく嬉しくなって、七瀬は弾むような足取りで通りを渡ると、ウォルター先生へと近寄っていく。
　そうしてどこかに行くのかと尋ねれば、ちょうど用事が終わって自宅へと帰るところだったらしい。――ということは、チャンスなのでは？
　ほにゃ、と笑みを浮かべて七瀬は、ゆえにウォルター先生の腕を引っ張った。

「なら先生お時間あると？　一緒にジェラート食べましょう、奢りますけん」
「ジェラート？　何でまた……って、ああ」

　あの店かぁ、とウォルター先生が『Gelateria Stella』をちらりと見て、納得の表情を浮かべる。それから腕時計にちらっと視線を向け、仕方ないな、と腕を引かれるままに歩き出始めた。
　それにまた嬉しくなって、こっちです、と通りをまた渡ってお店の前まで戻ると、奢りはいらないよ、いやいや奢りますって、と仲良く揉めながら七瀬はウォルター先生と店内へ足を踏み入れた。軽快なチャイムが鳴り、いらっしゃいませ、と明るいお姉さんの声に出迎えられてジェラートケースの前に立った2人は、ケース一杯に並んだ色々なジェラートに、これはすごい、と目を瞬かせる。
　バニラやストロベリー、キャラメルナッツといった定番の味から、カシスやハイビスカス、名前からは味の想像がつかないようなジェラート、それから野菜を使ったジェラートも幾つかあるようで、今日はキャロットとほうれん草があるらしい。あとは豆乳仕立てのジェラートも、抹茶と黒蜜の2種類が用意されている。
　これは選ぶだけでも大変や、と内心で冷や汗をかいていたら、お店のお姉さんがすかさずおススメを教えてくれた。

「今日のおススメはパッションマンゴーとカシスですね」
「へぇ。ならそれで」
（えっ、早……！）
「トッピングはどうなさいますか？」

　そんなお姉さんに躊躇なくウォルター先生が注文し――先生も同じく考えるのが大変だったのかもしれない――笑顔で頷いたお姉さんがテキパキと話を進めていく。ちょっと、ちょっとだけ、置いてけぼりだ。
　これは困った、と七瀬は冷や汗どころではなく焦りに焦って、ウォルター先生と同じ……にするのはちょっとアレかなと思ったので、その隣に並んだジェラートを頼むことにした。ハイビスカスを練り込んだマーブル模様のジェラートと、バニラのハーフ＆ハーフだ。
　トッピングは1つ無料とのことだったので、これまたおススメのチョコクッキーサンドを乗せてもらう。ちょこん、と天辺に刺した小さなワッフルコーンはサービスらしい。
　無事にミッション――違った、ジェラートの購入を終えて、七瀬はほっと大きく息を吐いた。そんな七瀬を見たウォルター先生が、面白そうにくつくつ笑っている。
　うぅ、と気恥ずかしさで睨むようにウォルター先生をジトっと見てから、そういえば、とテラス席の事を思い出した。そもそもの『口実』としては、七瀬はここのテラス席で本を読もうとやって来たのだ。
　せっかくウォルター先生と一緒に居るのに、本を読むなんてもったいないことはしないけれども、テラス席でジェラートを食べて行っても良いのじゃないだろうか。その方がきっと、先生ともゆっくり話せるだろうし。

「先生。ここ、テラス席があるらしいですけん、一緒に食べていきませんか？」

　ゆえにそう誘った七瀬に、誘われたウォルター先生はまた腕時計を確かめてから、いいよぉ、と頷いたのだった。