レディ・ロゼッタの運命考察｜リアクション

レディ・ロゼッタの運命考察

【1日目放課後】
　芽森菜々緒は約束を忘れていなかった。自分から月居歩のもとにやってきてこう言ったのだ。
「月居くん。絵のことを話したいと言っていたわよね？」
「あ、ああ。帰りながらでいいか？」
「その方が私も都合がいいわ。今日は描きあげたい絵があるから」
「なんだよ。お前もついてくんのか」
菜々緒と自分の間に割って入る歩に、吉祥寺黒子は不満げだ。菜々緒と歩が並んで歩き、そのすぐ後ろ、二人の間に黒子が入るような形で、三人のクラスメイトは並んで歩き始めた。三人とも帰る先は星ヶ丘であるのだから、傍目に違和感もない。下校時間だけあって、同じ方向に行く生徒も少なくはなかった。
「ね、あれ芽森先輩じゃない？」
「ああ、噂の……今……」
口さがない連中の声が聞こえてくる。こちらが聞こえない振りをしているせいか、だんだんと野次馬めいた声は大きくなって来ていた。
「るっせーなあいつら。こそこそ話すならもう少し隠れてやれよ」
黒子が嫌悪をあらわにした。これ以上菜々緒を傷つけるような態度を示すなら、ただでは置かないといった顔だ。菜々緒はつま先に目を落としながら、歩との油絵談義に集中しようとしているのがよくわかった。
「……そうね。水彩とは色の重なり方も違うし、特有の立体感のようなものが……月居君？」
「悪い。ちょっとだけ待っていてくれるか？」
歩は菜々緒と黒子に先に行くよう目で合図すると、噂話に花を咲かせる生徒たちにまっすぐ向かっていった。高校生とは思えない見上げるような長身、厳しい視線を投げかける歩がまん前に立つと、おしゃべりな集団の声は途切れた。

「一年生か？　ちょっとこっちは真面目な話をしてるんだ。あまり大きな声が出せない奴もいる。放課後で楽しいのはわかるが、そんな歩道にいっぱいに広がって大声で騒ぐなんて近所の迷惑にもなる。もうちょっと気をつけてくれねぇか？」
『芽森の悪口こそこそ言うんじゃねぇよ』と本当は言ってやりたかった。だが本人のいる前でそう口にすれば、菜々緒は気に病んでしまうだろう。これは歩の彼女への精一杯の配慮であり、また騒がしい下級生への最大限の温情であった。
「あ、は、はいっ、先輩……すみませんでしたっ！」
一年生たちは頭を下げながら、そそくさと散っていく。歩は小さくため息をつくと、菜々緒と黒子を追った。ゆっくり歩く二人はほとんど進んでいない。待っていてくれたようにも思われた。
「話の途中にすまなかったな。で、どこまで話したか……」
「……お前、やるじゃん」
黒子が口を尖らせながら、ぼそりと言う。菜々緒はすまなそうに歩を見上げた。
「…･･･いや、俺が邪魔に思っただけだから。芽森に絵の話を聞けるチャンスなんてそうないからな」
面と向かってほめられたり、感謝されると、悪い気はしない反面、対応に困る。歩はぎこちなくいいわけをしながら、再び並んで歩き出した。
（強面もたまには役に立つか。今だけでも、芽森を守ってやれているならそれでいい）
「そういえばあさって、菜々緒は何着ていくんだ？」
「ま、まだ何も決めていないわ。まだ時間があるし、今日は絵に集中したいもの」
「ん？　予定があるのか」
「ええ。以前からの約束で。女子会を開くことになっているんです」
「女だけだからな！　残念だったなぁ月居」
実に嬉しそうに黒子は答える。夜になったら、メル友のエレノア・エインズワースに報告しよう。楽しい楽しい女子会があるんだと、小さな自慢をするぐらいはいいだろう。この時の黒子には、悪い兆しなどはひとつも感じられていなかったのだ。いつものように幸運が味方してくれる。そう信じていた。