【七夕】鵲の翼を渡って～七夕ゆかたまつり 1371～｜リアクション

【七夕】鵲の翼を渡って～七夕ゆかたまつり 1371～

　朱塗りの壁に青銅屋根の巨大な建物を前に、仙藤紫と仙藤蒼は浴衣姿で立ち尽くす。
「寝子島神社に居たわよね？」
「うん」
「笹に願い事を書いた短冊を結びつけたわよね？」
「うん」
「二人で適当に屋台を巡ってたわよね……？」
「うん、射的の景品もまだ持ってる」
　姉の紫の言葉にひとつひとつ頷き、蒼は手提げ袋に詰めた景品を確かめる。チョコレート菓子に外国製のテーブルゲーム、まずまずの成果に満足して境内をほくほく歩いては、隣を歩く姉の艶やかな浴衣姿にやっぱりお姉ちゃんが誰より綺麗とますますほくほく歩いていたはずだった。
　それなのに、気づけば見知らぬ妙な建物の前に迷い出ていた。
「……ああ、ここはねこ温泉よね……」
　ふと姉が呟く。どうやら姉はここに来たことがあるらしい。しかもなんだか慣れた様子で、足元にすり寄って来た猫を抱き上げ、柔らかな手つきで頭を撫で始める。
(私も撫でて欲しい)
　うっかり思ってしまってから、お姉ちゃんが大好きな妹はぎゅっと唇を引き結ぶ。今言うべきはそんなことではなくて、
「お姉ちゃん、この変なところ、知ってるの？」
　来たことがあるわ、と頷いた姉は急がぬ足取りで歩み出した。何かを予感したような顔つきで、『湯屋』の立派な扁額が掲げられた大扉を潜る。古い温泉宿じみた広くてやたらに立派で豪華な玄関ホールには、どこから集まったのか、三毛猫白猫黒猫茶虎豹柄、さまざまな色や大きさ、長毛短毛関わらずたくさんの猫たちがみゃうみゃうにゃうにゃう。
「よう来てくれた……」
　猫団子だと思っていた猫たちの群れの中から、猫毛塗れの男が這い出して来て、蒼は思わず身を固める。お姉ちゃんを守らなければと前に出るも、
「こんにちは、古家さん」
「ほんま、ほんまよう来てくれた……」
　姉は男と顔見知りらしかった。
「今回も、猫の世話をすればいいのかしら」
「うん、浴衣デーやて」
　猫たちのベッドと化した日暮が言うには、今日は『浴衣デー』らしい。ただ、浴衣を纏ってお祭りを楽しむ寝子島とは違い、ねこ温泉では浴衣を来た人間がお猫さまを接待しなくてはならないらしい。
「そうしなければ戻れない、のよね？」
「うん、帰られへん」
　重々しく首を縦に振った日暮は、猫たちを背中に乗せて匍匐前進で玄関口に呆然と佇むもうひとりの人間のもとへと向かう。

「わーい、温泉だ！　しかも猫いっぱいだ！」
　白黒ハチワレの飼い猫、花遊を両腕で大事に抱っこしながら歓声をあげた万条幸次は、
「せやけど人間はお猫さまの世話係なんやで」
　向こうの部屋で浴衣着てな、と猫たちからじゃれつかれ引っ掻かれ猫パンチされるがままに床に倒れて呻く浴衣姿の男からこの場のルールの説明を受け、ちょっと唇を尖らせる。
　猫のお世話をするのはいい。猫は大好きだ。
(ただ)
　見下ろすのは、腕の中で得意顔をする飼い猫の花遊。
(花遊だけもてなされて俺がお世話係っていうのは)
　なんか悔しい。しかも、
『残念だったな。お猫様のオレをしっかりもてなせよ』
　腕の中から見上げてくる花遊がそんな風に言っているように見えて、
「おい、勝ち誇った顔するな花遊」
　ムッとして言ってみても、ルールはルール。あちらでは同じようにねこ温泉に迷い込んだらしい姉妹が諦めた顔で猫たちに纏わりつかれながら七夕飾りで溢れる広い廊下を進んでいる。
　説明してくれた男は猫たちの総攻撃を受けて猫団子の海へと沈んだ。
　猫たちに翻弄される人間の姿をしばらく呆然と眺めていて、ふと閃いた。
(……もしかしてろっこんで猫に変身すれば俺も楽しめるのでは！)
　周りにある目が猫たちだけであることを確かめ、幸次は目を閉じて念じる。
(ろっこん猫チェンジ！)
　次の瞬間、幸次は灰色虎猫の姿に変身する。
『ズルいぞ幸次！』
『よし、これで大丈夫』
　途端に聞こえるようになった花遊の言葉を聞こえない振りして、猫幸次は玄関でにゃあにゃあ飛んだり跳ねたり遊ぶお客の猫に紛れてねこ温泉郷への侵入を開始する。