一部の空に暗雲が垂れ込める。真下に当たる位置から凄まじい軍靴が響き渡る。異形の軍団が隊列を組んで行進を続けていた。
　その軍団を偶然に目の当たりにした観月 光は目を見開いた。すぐには声が出せない。
「……わけがわかんない。何がどうなってんの？」
　外側の一体が反応して光を見た。あるはずの個所に眼球がない。黒い眼窩の奥には仄白い魂の残滓のようなものが光っていた。歩きながら古びた剣を振り上げる。
　悪寒を覚えたのか。光は後方に跳んだ。鼻先を掠めた剣先は地面に食い込んだ。易々と引き抜き、カタカタと下顎を鳴らして隊列に戻った。
「どうなってんのよ！」
　光の怒り程度で行進は止まらない。骸骨剣士が過ぎ去ると巨大な棍棒を肩に担いだ一つ目のサイクロプスの集団が現れた。踏み出す足で地面を揺らしながら前進を続ける。
　部隊の隊長なのか。白骨の馬に跨ったデュラハンの数は少ない。己の頭を小脇に抱え、白い剣を携えて堂々と胸を張った。
「ふはははは、我は魔王なり！　この世の全てを支配下に治める覇者である！」
「この声は馬鹿樹！？」
　光は声のした方向を睨んだ。
　三つ首の禍々しい犬、ケルベロスと目が合った。個々で低い唸り声を上げた。猛悪な牙の隙間から赤い炎が漏れ出ている。それぞれが首輪を付けられ、太い鎖に繋がれていた。
　鎖の先に折河 樹がいた。血を大量に吸い込んだ色合いの玉座に足を組んだ姿で座っていた。漆黒のマントを羽織り、暗黒のスーツを着ていた。全てが黒く、傲慢な顔付きで愉快そうな笑みを口元に湛えた。
「我が軍団よ！　立ち塞がる全てを破壊し、蹂躙せよ！　この世に地獄を再現してくれようぞ！　ふはははははは！」
「コラー、調子に乗るなー！　馬鹿樹のくせにっ！」
　その声は軍団の立てる音に阻まれた。ケルベロスに引かれた玉座は光の前を悠々と横切ってゆく。
「こんなこと、絶対に許せない！　あたしが止めてやるんだから！」
　武者震いの直後、光は猛然と走り出す。軍団の行進よりも速い。スカートを激しく揺らして回り込んだ。
「止まれぇぇぇ！」
　光は両腕を広げて立ち塞がる。
　玉座の樹が右腕を上げた。すると軍団は速やかに止まった。
「クックック、やはり我が前に立ちはだかるか、我が盟友、いや、言葉を濁すまい！　宿敵、勇者光よ！」
「え、あたしが勇者？　そういう設定なの？」
「この期に及んで白を切るとは、クックック」
　片方の肘掛けに右肘を突き、陰湿な嗤いを漏らす。
「悪いんだけど、あんたの厨二病ワールドに付き合う気はないから。この気持ちの悪い連中をさっさと追い返して、元のあんたに戻りなさいよ」
「魔王が我の真の姿である。光よ、もはや抗っても意味はない。我がこの世の全てを掌握するのは時間の問題に過ぎない。ならば朽ち果てる道を選ぶより、栄光の覇道を共に歩いた方がよかろう。どうだ、光よ。真の姿に戻って我の手足になれ」
「なによ、それ」
「幹部として迎えてやってもよいぞ」
　その甘い誘いに光はぐらつく。ツインテールを左右に振って懸命に抗う。
「誰があんたなんかの為に」
「そうは見えないぞ。その態度、満更でもないのであろう。豪華な食事を毎日、たらふく食べたくはないのか？　一生、目にすることができない程の金銀財宝を身に纏い、多くの臣下に崇められ、面白おかしく日々を過ごしたくないのか？　我の軍門に下れば全てが叶うのだぞ。迷う必要がどこにある？」
　樹は気だるげに左手を差し伸べた。
「我の手を取れ。そして永遠の忠誠を誓うのだ！　クッ、こんな時に左目が疼くとは！」
　樹は左手で左目を押えて、静まれ、と呟いた。その行動でろっこん『邪気眼の共鳴』が発動した。近くにいた光にも僅かながら影響を与え、厨二病の発想に侵された。
「誰が、誰があんたなんかに、あたしは……あたしは勇者光なのよ！」
　叫んだ瞬間、光の全身が燦然と輝く。樹は苦し気な顔で手を翳す。
「そ、その姿は！」
　輝きが消えると樹は目を剥いて光を見た。
　白いマントを羽織り、白銀の甲冑を見事に着こなす。右手には神々しい輝きに包まれたハリセンを握り締めていた。
　聖剣とばかりにハリセンを頭上に掲げた。
「このハリセンは勇者に許された剣よ。その名もハリセンカリバー！　邪な心を打ち砕く聖なる光に包まれるがいいわ！」
　声と共にハリセンの光が強まった。先頭にいた骸骨剣士が崩れ、砂塵と化した。サイクロプスは目を押え、振り回す棍棒で味方を吹き飛ばす。
　魔王の軍団は一瞬で壊滅の危機に瀕した。
「ま、まさか、ここまでの威力とは！　しかし、我は魔王！　この程度で屈することはない！　勇者光よ、左目から溢れ出す闇の波動を受けて精神を暗黒に染め上げるがいい！」
　再び左手で左目を押えてろっこんを発動した。
　光はものともしない。ハリセンカリバーを正面に構えて受けて立つ。
「正義の光はどのような闇も振り払う！　汚れなき白い閃光を、その身に受けるがいいわ、魔王！」
　光は神速の勢いで飛び出した。デュラハンが振り下ろした剣をハリセンカリバーで叩き折る。動きを止めずに跳んでケルベロスが吐き出した炎を躱した。透かさず真ん中の頭を踏み台にして更なる高さに登り詰める。
「魔王の野望もここまでよ！　女神から託された必滅の一撃、ハリセンカリバーシャイニングストーム！」
　光は急激な落下で全身に風を纏い、樹の額に最高の一撃を打ち込んだ。
　瞬間、軍団は膨大な光に包まれて砕けた。黒い塵は浄化されて光の粒子に変わって青い空へと吸い込まれた。
　樹は地面に座り込んだ状態で軽く頭を振った。
「……俺は一体、何をしていたんだ？」
「やっと正気に戻ったようね」
　二人の姿は元の私服に戻っていた。樹は光の手を借りて立ち上がると、フフ、と笑った。
「どうやら内なる魔に呑み込まれていたようだ」
「あんたは正気でそれなのね」
　光は呆れた顔で同じように笑った。