【お正月】賑やかで華やかな一時を｜リアクション

【お正月】賑やかで華やかな一時を

　空の一部が薄青い。早起きの雀が丸まった姿で鳴き始める。
　星ヶ丘寮は未だに深い眠りの中にあった。外を出歩く者はいない。微かな物音も聞こえて来なかった。
　故に愛猫萌々子は例外と言える。長い髪をブラシで整え、余所行きの服に着替えて自室を適当に歩き回った。
　数分の時間を費やすと決め事のように机の前で足を止めた。机上のパソコンの画面に目を凝らす。
「まだ、ですね」
　深呼吸を繰り返して歩き始めた。

　MewTubeのライブ映像配信まで、あと五分。萌々子は神妙な顔付きで椅子に座った。パソコンの傍らに置いていたヘッドホンを頭に装着。掛けた眼鏡の位置を速やかに正す。
　不安と期待が入り混じった目を画面に向ける。華やかなステージにはドラムやギター、ベース等の楽器が置かれていた。画面の下部には最前列の客が映っている。じっとしていられない様子に釣られて上体が微かに揺れた。
　二分を切ると英語のざわつきが大きくなった。会場にいるような臨場感に萌々子の顔が強張った。
　――本当にお兄様の出番はあるのでしょうか。
　縋るような目で添えられた英文を読み始める。アメリカで毎年、開催されるライブイベントで参加資格は不問と明記されていた。
　安堵した直後、画面の中の観客が一斉に沸いた。マイクを通した声が早口で聞こえる。呼応するように歓喜の声が上がった。
　萌々子の鼻息が荒くなった。耳に意識を集中して聞き入る。
「え、本当に！？」
　画面に顔を近づける。聞き間違いではなかった。
　萌々子の実兄、愛猫公英（あいびきみひで）が軽やかにステージに走り込む。愛用のギターを手にすると観客に向かって手を挙げた。三人のメンバーが後に続き、緩やかに手を振る。各々が持ち場に就き、演奏に備えた。
　公英は中央のマイクスタンドの前に行き、ステージに立てた喜びを英語で手短に語った。バンド名のD.D.Leoを誇りに思うと胸を叩き、最後に曲名を叫んだ。
　相応の声援で観客が応える。勢いに乗ったメンバーによって曲は走り出す。公英はギターを弾きながら笑顔で歌う。
　間奏に入るとマイクスタンドを傾けて大きく手で招く。観客は大きな歓声を返した。
　萌々子は涙ぐんだ。微かに震える唇で、お兄様、と何度も呟いた。
　三分程で曲は終わった。バンドメンバーは満足した顔でステージ袖に消えてゆく。
　ひとり残った公英はスマートフォンを手にして飛び上がる。

「カッコよかっただろ！　今度はもっと大きなステージで歌う姿を見せてやるからな！」
　最後は日本語だった。
　萌々子の目から涙が零れる。去り際の公英に小さく手を振った。
　次のバンド名が告げられる。どよめくような歓声が沸き起こったところでパソコンの電源を落とした。
　萌々子はヘッドホンを外して立ち上がると、覚束ない足取りでベッドへ向かう。くるりと回って背中から倒れ込んだ。
　掛けていた眼鏡を外した。目に溜まった涙を指先で拭う。
　上気した頬が元の白さを取り戻していった。
「……素敵なステージでした」
　静かに瞼を閉じる。
　すると大学生の公英の姿が頭に浮かんできた。父親と激しい口喧嘩をしていた。幼い姿の萌々子は小学生で、おろおろしながら目に涙を浮かべている。
　――この時のことはよく覚えています。お母様が亡くなって、私がお父様に引き取られることにお兄様は反対しました。
　でも、大学生のお兄様に幼い妹を育てるだけの経済力はありませんでした。私に何度も頭を下げて、泣きながら家を出ていった、その姿は忘れることができません。
　思考を中断して上体を起こす。
「今日のお兄様は、とてもいい笑顔でした」
　後ろに両手を突いた。少し視線を上げる。
「いつか私も」
　そこで言葉を切った。
　――お兄様みたいに夢に向かって全力で走れるようになりたいです。
　熱い思いは胸の裡で語った。
「そうでした！　さっきのステージの感想をお兄様に送らなくては！」
　投げ出した眼鏡を掛け直し、急いでパソコンと向き合った。

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