化かし狐のお礼参り｜リアクション

化かし狐のお礼参り

　桜庭円は走っていた。タイムラインに飛び込んでくる、決定的な情報。目当ての相手はすぐに見つかった。
「人間風情が何をする……離せ……離さんか！」
血にまみれ、尾を二つ失ってしまった摂狐はのばらの膝の下で必死にもがいている。押しのけようと人間の姿に変化するが逆効果で、両の腕を絡め取られてしまった。しゃれた衣装が却って痛々しく、摂狐は土下座をするような形で組み伏せられる。
「ごめん。ちょっと話をさせてくれないかな？」
「いいけど、油断は禁物ですよ♪　こいつは所詮妖怪なんですから……アハハ」
円は歩み出て摂狐の目の前でかがみ、目線を合わせた。妖狐の頬には細かい傷がつき、尾は一本失われている。せっかく衣装とそろいの帽子はどこかに落ちてしまっていた。獰猛な傷ついた獣の目をして、摂狐は人間に屈してなお威勢を保とうとしている。
「摂狐、君は人を化かすために、父親から命をもらったの？」
くっ、という音を立て、歯を食いしばる摂狐の目が光る。円の視界がぐるぐると回り出し、地面は川となった。冷たい水に体がはまり込んでいくのを感じる。
（幻覚……！）
拳を強く握ると、手のひらのなかに仕込んでいたピンが深く食い込んだ。鋭い痛みが円を現実に引き戻す。
「君の父親は、君を守って撃たれて死んだって聞いた」
「やめろ！　父を馬鹿にするのか……妖狐を愚弄するか！」
摂狐はそんな話は聞きたくないと言うように身をよじった。
「違うよ。家族を守るために身を挺した父親が馬鹿なわけない」
ずきずきと脈打つ傷は、円の覚悟の証だった。言葉を続ける。
「その姿は、君の心の年齢を表してる。ボクは、そう思う」
摂狐は答えない。
「お父さんを失ってから、君は成長することを投げ出して、人を化かして遊ぶことばかりに力を入れるようになったんじゃないかな？」
「これは人間を欺くためのものだ。お前たちは、子供と見れば、油断するではないか……」
答える摂狐の言葉には今までの勢いが感じられない。
「年月を経て力は得たかもしれない、でもね、そんな力の使い方でいいのかな。君の命を守って死んだお父さんの方が、妖狐の力を誇る君より、強くて尊敬できる存在だよ」
小さな手が摂狐の頭に伸び、黒髪をなでる。摂狐はたちまち本性の狐の姿に戻った。細く伸びた鼻面で円の手を払い、がぶりと噛みつく。鮮血があたりに散った。
「まだそんな元気がありましたか？」
エレノア・エインズワースが狐の耳をつかんでのけぞらせる。
「やめてくれ！」
止める逆巻天野を冷たい視線が刺す。
「……私はかまいませんよ？　正義に燃える人たちが情けをかけた結果、生き延びた摂狐に島民がむざむざ殺される、そんな結果になるかもしれませんがね。それもまた、笑える話で悪くはありませんけど」
そう言い放つエレノアは背を向ける。彼女が今どんな表情をしているのかは、誰も知ることができなかった。