化かし狐のお礼参り｜リアクション

化かし狐のお礼参り

　御鏡聖にとって、その日はフツウの日では終わらなかった。学校帰りに、参道商店街に立ち寄り、お菓子をいくつか選ぶ。寝子島神社に帰って、何か手伝えることがあれば動くし、なければ静かに残りの時間を過ごす。いつも通りの日常をなぞるだけだったはずなのに――
「あら？」
気がつけば聖はどことも知れぬ空間に立っていた。先ほどまで歩いていた、見慣れた旧市街の道の上ではない。
「おい娘。お前からはにっくき『神』のにおいがする。お前は『あいつら』の仲間だな」
聖は黒い瞳をぱちぱちと瞬き、じっと目の前の相手を見る。小学生ぐらいの少年。黒を基調としたしゃれた服、獣のようにらんらんと光る双の目、その身に宿る妖力を示す複数の狐の尾。
「ここでこの俺、摂狐に出会ったからには観念せよ。お前は今から……」
「もしかして、話に聞いた化かし狐さんですか？」
妖狐の口上を遮って、聖は思わず口に出す。出鼻をくじかれ、摂狐と名乗った妖異はつい、
「あ、ああ……」
と正直に答えてしまった。周りの空間は再びいつもどおりの世界に戻る。聖はにっこりと摂狐に微笑み、手に持っていた袋を差し出す。
「お菓子を買ってきたんです。よろしければいかがですか？」
摂狐は袋に顔を近づけ、そのにおいを確かめると、乱暴に袋ごと菓子を奪い取った。あらあら、と聖はからっぽになった手を一度見る。怒り出すこともなく、袋をがさがさとあさる摂狐を見つめる。
「私のお気に入りのお菓子ばかりなんですよ。食べてみてくださいな」
笑顔とともに長いサイドテールが揺れる。狐の尾にも似ているようであった。摂狐は聖から距離を保って立ち、木に背をもたせかけ、勢いよく菓子をほおばり始めた。
「よかったら、食べながらでいいのでお話をしませんか？」
逃げ出さない摂狐の様子を肯定と受け取り、聖は自分から話題を切り出す。

「狐さんにはなじみがあるんですよ。今住んでいる寝子島神社には、お花の好きな狐さんが来てくれるんです」
摂狐はじろりと横目で聖を見た。聖の知る神社に集う狐たちと、この妖狐はずいぶんと違う。すさんだ心のまま、人を祟ろうとする摂狐の心を和らげようと聖は神社に集う狐の話を続けた。
「私は巫女の修行をしているんですけど、休憩中にこっそりお菓子を食べていると、付き合ってくれます。不思議なことに巻き込まれた時も、迎えに来てくれたんですよ」
「そんな連中と俺を一緒にするな」
不愉快そうに摂狐は言う。
「九夜山の大きな狐さんが亡くなられて、みんなでお花を供えようとしていたときも……摂狐さんたちは、その狐さんのことは知っていますか？」
「……知らん」
不機嫌そうに妖狐の少年は答えた。楽しそうに集う狐の話など、聞いても楽しくはない。仏頂面にどこか寂しさを見つけた気がして、聖は一歩近づいた。
「摂狐さんたちのお話も聞かせてください。普段どういう生活をしているんですか？」
「山に住んでいる。ただの獣ごときとの付き合いなど、ない」
「尻尾を取られたとか聞いていますが、元に戻る方法はあるんですか」
「あるわけなかろう！　だからこそ俺は復讐せずにはいられないのだ！」
触れてはならない話題であったのだろう。おとなしくなったと見えた摂狐は、再び怒りを燃え上がらせた。
「俺にかまうな！　お前の話など聞かねばよかった」
菓子の入っていた袋をくしゃりと丸め、聖の胸に投げつけると、あっという間に摂狐は暗い町並みに姿を消した。
「摂狐さん！　摂狐さんのお気持ちはご自分で答えを見つけない限り、晴れないと思います。そのきっかけは……」
「うるさい！　俺にもうかまうな！」
そう言われて放っておけるものか。聖は妖狐が走り去った気配を追って、入り組んだ旧市街の道を走った。