時計が刻んだ先の話｜リアクション

時計が刻んだ先の話

【一歩を踏み出せば】

日差しが少し和らぎ、風が肌で感じる気温を下げてくれるような時間に差し掛かり、小山内海は寮の玄関をひとりくぐる。
散歩にでも行こうかと、お気に入りの菫色のかんざしを挿して、愛用のスケッチブックを手に持って。
和らいだとは言え、まだまだ太陽は頑張って寝子島を照らしている。

どこへ向かおうか、あてもなく歩きはじめたけれど。
海の足は自然と旧市街の方向へ向かう。特に深い意味はない、けれど。もしかしたら会えるかもしれない、そんなわずかな期待を込めて。
ゆっくりとしたペースで進んでいた海の足元に、真白な猫がすり寄ってきた。
頬を擦りつけ、にゃあと鳴く。海はその場にかがんで白猫を撫でてやる。
首にかけられた時計に気付き、珍しそうにその時計に手をかけた。

スッと、誰かが近くを通り過ぎた。
普段はそんなこと気にしないのに、海は無性に気になって、通り過ぎた方を振り向く。
そこには整えていない黒髪の、背の高い男性と、長い髪をサイドテールにまとめた女性の後ろ姿が。

(あれ、って……まさか！？)

海は驚いて目を見開く。髪をまとめている菫色のかんざし、手に持ったスケッチブックについた、ピンクのイルカのストラップ。
自分の髪をまとめているかんざしと、手にしているスケッチブックを手でなぞる。――同じものだ。

ふたりは仲よさそうに歩いて行く。時々互いに顔を見合わせて笑いあう。
そしてふと、スケッチブックを持っていない空いた左手を、男性の右腕に絡める。
頭をこつん、と男性の肩に寄せ男性がその頭を軽く撫でた。

(わあ……っ)

大人っぽくなった自分が、男の人の腕に抱き着いている。しかも、その男性の横顔には見覚えがあった。
今、海が会いたいと思っていた人。旧市街の方向へ足を向けるきっかけとなった人。
海は思わず、そのふたりに見惚れていた。
もしかしたら、自分もあんなふうになれるかもしれない、と。

しかしふたりだけの時間は長く続かなかった。
誰かの飼い猫だと思わしき猫が男性の足元にかけていく。後ろから飼い主の女性が駆け寄り猫を抱き上げた。
そして男性ににやりと笑いかけながら、その脇腹を肘でつつく。男性も笑いながらそれを受け流している。
今度は凛とした雰囲気の女性が近づいてくる。恥ずかしそうに、でもその感情を隠すように、凛々しい顔つきで話しかけている。
次は綺麗な髪のグラマーな女性。柔和な笑顔でお話してる。それに、背が高くスタイルのいい女性……。

(女の人ばっかりだ)

自分が左腕に抱き着いているまま、周りに５人の女の子をはべらせて、それでも男性は毒のない笑顔を全員に向ける。
海の胸の奥がちくりと痛んだ。
海がそんな感情を持ったまま見つめているとも知らずに、ひとりの女性が男性の左腕に抱き着く。
ちらりと見えた横顔が真っ赤に染まっていた。

(赤くなってる)

その姿に海はくすりと笑う。笑うようなタイミングではなかったのだが、それでも微笑ましく思えてしまった。
笑い声が聞こえたのか、右腕に抱き着いたままの自分が、不意に後ろを振り返った。
しっかりと目があい、海は思わずスケッチブックを胸に抱く。
振り返った自分は、海を見て、小さくふっと笑うとすぐに前を向き、そして消えていった。

(……なんだったんだろう、あれ)

さっきの猫が見せてくれたのかな、とあたりを見回すが、先ほどの白猫はすでに居なくなっていた。
海は気を取り直して散歩の続きを始める。向かう先は旧市街方面。

(少し、会いたいかも。……ううん、会いたい)

そんなことを思いながら、海は足取り軽く歩いて行った。