ねこの消えた日｜リアクション

ねこの消えた日

　車の中で、八神修は現状の確認をする。膝に乗っているのは小学生なら誰でも持っているような大きな文字の五十音表だ。ひらがなの下にはそれぞれのローマ字つづりも書かれている。
「ローマ字のNとEの組み合わせ、KとOの組み合わせが消えているな」
全体で見ればたった二文字だ。だがすでに島は混乱している。
「近い『ぬ』や『か』などで差し替えるのも手だな……」
心の中で、ひとつ試しに類音を使用してみる。表現のターゲットは、修も毎日かわいがっているあの小動物だ。
（『ぬか』……）
「げほん！」
あまりの間抜けな響きに、修は咳払いをしてテスト案を頭の隅から追いやった。
「修様。どうかなさいましたか？」
「い、いや、なんでもない。考えごとをしているから放っておいてくれ」
ケージに入って同行しているペットたちも、きょとんとした顔をして敬愛すべき主人を見つめている。彼らには笑いかけ、見当違いな気遣いを見せる運転手をごまかしながら、次に修が手に取ったのは今朝の朝刊だった。車内のテレビやラジオもつけさせる。修は、話す必要があるときは類音ではなく類語を使ってやっていこうと堅く誓った。
「島内はもれなく、文字喪失の範囲に入ってしまっているようだな」
ならばどこまでがこの現象の範囲内なのかを調べるのが先決だ。修は当初の予定通り本土へと向かうべく車を走らせるが、気になる二人連れを見かけて、車を止めさせた。
「ミユ」
呼ばれてこちらを見るのは修の親友、霧生深雪だ。いかにも芸術家肌といった感じの、繊細でとがった雰囲気をまとう少年であるが、友の前では柔らかい表情を見せた。
「それと、渚砂もいっしょか」
「やあ。修くん」
深雪の傍らには、彼より幾分年長の青年、霧生渚砂がいた。深雪と同じ姓、似た色の赤い瞳を持っているが血縁関係があるわけではない。渚砂は経緯不明の事故、または事件によって浜辺に流れ着き、そのまま島に住むことになった。自分のことを『お兄さん』と呼び、何かにつけて大人ぶる渚砂であったが、実際のところ保護者的な立場にあるのは深雪の方だった。『渚砂』という名も本名ではなく、深雪が与えたものである。渚砂はほとんどの記憶を失ってしまっているのだが、当人にはそれを苦にしている様子はまったく見られなかった。
「二人揃ってどうしたんだ？」
「よく聞いてくれたな。渚砂が手に負えないんだ」
深雪は呆れ顔で、年長の渚砂をひじでつつくしぐさをした。それに構わず、渚砂は大げさに事の経緯を話し出す。
「今朝からサティの姿が見えなくってさ。深雪くん、動転しちゃってお兄さんに怒鳴りだすし」
「おい、やめろ」
深雪の顔が心なしか赤く染まった気がした。
「サティが？　探すのに苦労しているんじゃないか？」
「そうなんだよ！　ずっと深雪君と探し歩いているんだけど、うまく伝えられないんだ。まだ小さいしそう遠くには行ってないはず……万一、ケガをしてたらどうしようかと心配なんだ。でも、」
「サティがどういう動物か説明できないのだろう。違うか？」
修がそう言うと、渚砂はその通りと首を大きく縦に振ってうなずき、深雪はなぜかますます赤い顔になった。
「ん？　ミユ、どうした」