ねこの消えた日｜リアクション

ねこの消えた日

　だから自分の名前も、最後の音が言えないし聞こえないのか。疑問が解けて、桃原空音は少し心のもやもやが晴れた気がした。空音の視線に気がつき、霧生渚砂は笑って手を上げ、霧生深雪は不器用に赤い顔のまま小さくうなずいて、背を向けサティを探しに行ってしまった。慌てて渚砂がそれを追う。二人の姿を見送ってから、空音はあてなくふらふらと街を散策しはじめた。足は次第に旧市街へと向かう。ここから港まで続く道は、猫たちの縄張りだ。空音が行くのをちらりと見やる猫もいれば、お構いなしに自分の『仕事』に夢中のものもいた。
「そっか。■■さんたちも名前がないのかぁ」
かわいいかわいい、身近なこの動物たちも、今日は揃って名無しだ。個体名があれば話は違うが、旧市街の猫たちには、奔放に自活しているものも多かった。
「じゃあ、あたしが名前をつけてあげる！」
空音は自分の妙案に大きな笑顔を浮かべる。
「あなたはモフモフだからモフちゃん！　君はしましまがキレイだからシマちゃん。……っと、だとしたらあたしはアホ毛ちゃん？　むぅ……」
時々首を傾げながらも、空音は猫たちに今日だけの新しい名を与えながら、楽しそうに進んでいく。山を背にした空音の正面から、ものすごいスピードで走る、茶色のショートカットの少女の姿が見えた。どんどんとこっちに近づいて来るその少女、後木真央の顔が紅潮しているのは疲れているからではなく、『猫』と言えない現実が真央を苦しめているからだ。
「ううーっ！　■■島■う■う！　■■電バス！　あの標識も穴だらけなのだー！　どうすればいいのだ！」
「真央ちゃん！　どうしたの!?」
真央と空音は同じ猫鳴館生であると同時に、陸上部員でもある。よく知っている間柄ではあるが、こんなに追い詰められた顔をしている真央は見たことがない。空音は慌てて真央を呼び止めた。
「ああっ！　空■ちゃん！　……空■ちゃんも消えた字があるのだ……」
「ああ、うん……そうみたい、なんだよ■」
真央は友人の名を呼べないことに気づいて愕然とした。空音もうまいフォローの言葉が浮かばない。
「だったら！　当分『そらっち』と呼ぶのだ」
「そ、空っち……うむむぅ……！　わかったよ、それで！」
「それじゃあそらっち！　真央ちゃんはそろそろ行かなければいけないのだ」
「えっ、ど、ど■……ああえっと、どの方面に!?」
「■れ以上のんびり授業なんて受けていられないのだ。他の字まで消えたらどうするのだ!?　真央ちゃんは文字を探しにいくのだ！」
真央は山に向かって駆け出す。聞けば行く先は■■島神社と落神神社の二つだ。大きい方の神社の名前は音が消えてしまって聞き取れないが、真央が考えていることはわかった。この島は神が落ちてきてから大きく変わった。その伝承が息づく場所のひとつが神社。
（フシギには、神社が関係しているかもしれない。なくても、神様にお願いすれば文字が早く帰ってくるかもしれないよね。今日は原稿もお休み、ついていこうかな）
「よーし、あたしも一緒に行くよ！」
「行くのだ！　そらっちも真央ちゃんと一緒に文字たちが帰ってくるよう、お参りするのだ！」