寝子島呪刀奇譚｜リアクション

寝子島呪刀奇譚

夕暮れ時の河川敷が、ぬるりと濡れた赤に染まっている。
　微かに鼻をつく鉄臭さに、魚塚源三は顔を流石にしかめた。
　「……こいつはひでぇな」
　芝の上に転がっているのは、呼びつけたやつらだろう。一人残らず血まみれで、苦しげに呻きをあげているのが、高水敷の歩道からよく見えた。
　連中を見下ろすように立つのは、影のような男の背中が一つ。
　その手には、血と脂に塗れた刀が一振り。
「おい、おっさん！　てめぇがこいつらをやったのか？」
　問うた直後、影が動いた。
　反射的に身をかわした源三の頬を、一拍遅れてぬるりと熱いものが伝う。
　少しばかり、口の中が乾くのを感じた。
「いきなり斬りつけてくるたぁ……てめぇ、正気か？」
　男は答えず、ただ刀を構えるのみ。
　先に手を出してきた挙げ句、聞く耳持たず。なら、こちらも加減する必要はないだろう。
「いっとくがよぉ」
　頬を拭って、構えを取る。
「俺はそこに倒れてるやつらとは、わけが違うぜ！」
　眼光鋭く睨みつけ、源三が走り出す。
　正気を疑うほど真っ直ぐなその走りに、男は笑うように刀を揺らした。
　そして男も駆ける。低く、低く、鋼の舌で以て地を舐める蛇が如くに。
　次の刹那、空が唸った。
　激烈な速さで跳ね上がる刀身が、源三の胴を真正面から斜めに断つ勢いで迫る。
　だが彼は避けるでもなく、止まるでもなく。
　刀が突き立つのも構わずに、左腕を盾にした。
　骨に触れる硬い感触に、冗談のように飛び散る血飛沫。
　流石に怖気を伴う痛みで、源三の目の前は真っ赤に染まる。
「――ってぇなあ、おいっ！」
　裂けんばかりに目を見開いて、絶叫。
　赤く染まる視界を、左腕の燃える痛みを振り払い、源三は右手を伸ばす。
　男が逃れて身を引けば、刀の引き抜かれる瞬間の左腕に再びの激痛。足元の芝が赤黒い脂に塗れるけれど、しかし嘘のように腕の傷は癒えている。
　ろっこん『DIEハード』、傷を塞ぐ超再生の力だ。
　右腕を伸ばす勢いのまま、男の間合いの内側へ食らいつこうと踏み込む源三。
　男はのけぞるほどに身体を引き、左手に持ち替えた刀を横一文字に払う。
　源三の右手が、その切っ先を掴み取る。手指なんぞ容易く切り落としかねない鋭い刃を、力いっぱい握りしめる。
　額を脂汗が伝い、手のひらから滴る血は腕を、着衣を赤く濡らしていく。
　男が刃に力を込めたその瞬間、源三は刀の切っ先を捻り上げた。深く深く刃が肉に食い込んでも、構うことなく。
「治る傷なら安いもんだぜ！」
　刀に引きずられて傾いだ男の首元を、源三の左腕が掴み取る。
　彼の瞳が燃え上がった次の瞬間、男は宙を舞っていた。
　河川敷を鈍く重い衝撃が走り、波紋を描くように芝が揺れて音をたてる。
　背中から投げ落とされた男の身体は、衝撃を逃せずにゴムボールじみて微かに跳ねた。
　その拍子に、刀が手を離れて地面を滑る。
　間髪を入れずに絞め技に移りながら、源三は刀をさらに遠くへと蹴り飛ばした。
「おっさん、柔道ってのはむしろ絞め技のが危険度は高いんだぜ！」
　得物を求め、抜け出そうともがく男。しかしがっちりと固められた絞め技からは抜け出せず、やがてぱたりと動かなくなった。
　途端、男も刀も、冗談のように消えてしまう。
　見回しても、もはや影も形も見当たらない。転がっているのは、源三を呼びつけた連中だけだ。
「どうなってんだ？　……てててっ！」
　勝負を決める興奮の中で忘れていた痛みが、思い出したように襲いかかってきた。
　おかげで、刀と男の行方よりも大事なことに気付く。
　連中は血まみれ、自分も血まみれ。傷が治っているせいで、傍から見たら完全に返り血だ。
　斬られたせいで服はボロボロだし、こいつらをどうこうするにしても、帰るにしても言い訳が要る。
　「……ばっくれるしかねぇな」
　諦め顔でぼやく源三の頭上で、一羽の烏が鳴いたのだった。