寝子島呪刀奇譚｜リアクション

寝子島呪刀奇譚

　御剣刀は、頭の中で撃鉄を落とした。
《加速》した精神が見るゆっくりとした世界の中を、加速した肉体で駆け抜ける。
　眼の前には、黒い侍の振り下ろす刀。
　木刀で受けたところで、それごと斬られて終わりだろう。
　――ならば。
　侍の刀の鎬に、木刀の鎬を添えるように合わせる。
　そっと力を加えた瞬間、御剣の精神と肉体の加速が終わる。
　侍の剣閃が、軌道を逸らされ空を切った。
　侍が瞠目し、空いたその胴へと木刀を叩き込む。重い打撃音が響き、確かな手応えが御剣の手にも伝わる。
（……やったか？）
　よろめく侍。
　しかし、直後その足が地面を踏みしめる。
　ずるり、と。侍の瞳が、粘ついたギラツキを帯びた。
　腹の奥がひきつるような感覚に、身を引く御剣。その鼻先を切っ先が掠め、微かに血肉が霧散する。
　ダメか、と内心で舌打ちひとつ。
　“試合”ならば、今のは決まり手だっただろう。
　だけど、侍の声がそれが否定する。

　――死合おうぞ。

　これは剣道の試合ではなく、剣士の死合なのだ。
　致命傷か、そうでなくとも続けられないと思わせなければ終われない。
　できなければ、自分が死んで終わる。

　――いざ、死合おうぞ。

　虚ろな声のささやきに、首筋と胸がひりつく。
　その感覚を受け止めるように深呼吸をひとつして、御剣は木刀を握る手に力を込めた。
「――ああ、やってやるよ」
　その言葉に、侍が笑う。
　次の刹那、御剣は侍の間合いへと踏み込んでいた。
　すかさず繰り出される、紫電の嵐の如くに苛烈で暴力的な無数の打ち込み。
　面と来れば、斜めに引いて払い除け。
　腰を落として斬りおろせば、引いて上段に取って回避。
　立ち上がって胴を狙えば、外へと弾いていなす。
　返す刀の首刈りは、しかし毛髪を切り散らすのみ。
　今まで積み上げた技術と、《加速》による反応速度。どちらかが欠けていたなら、きっと一合目で死んでいる。
　そうして絶死の剣閃を躱し続けて、糸を通すようなその好機を手繰り寄せる。
　眉間を突かんすとする切っ先をかちあげ、返す刀で首へと突きを放つ。
　喉を潰して貫き通すその一撃は、しかし侍の首を掠めただけだった。
　一歩、否、半歩にも満たない、ほんの僅かな踏み込みの不足。
　あるいは、死合への躊躇か。
　故にそれは、むしろ侍が踏み込む好機となった。
　対して深く切り込んだ侍が、かち上げられた刀が、一転して御剣の首筋を捉える。
迫る刃の冷たさに、死を感じたその刹那。

　撃鉄が、落ちる。

　全身全霊、全力を賭して御剣は《加速》する。
　刃圏に潜り込んだのも、踏み込みの不足も全ては今この瞬間のための布石。
　殺すつもりの相手を前に、躊躇などしてやるものか。
（世界よ凍てつけ――）
普通ならばもはや躱せない、直撃を避けたところで致命傷は免れ得ない。
だからこそ躱してみせる、だからこそ世界を凍てさせる。
――この刃が、届くまで。
刃の軌道、その外側へと回り込む。
必殺を確信して放たれた一閃が空を切り、しかし侍に驚愕の間は与えられない。
「終わりだ……俺の剣の糧になれッ！」
空気を震わす叫びと共に、大上段からの一閃を刀の峰に叩きつけた。
刀が侍の手を離れ、地面の上を滑っていく。
返す刀で、更に侍の腹へと斬り上げを叩き込む。
骨が砕けるような音がして、侍が黒い吐瀉物を撒き散らす。
数歩後ろへよろめいたかと思うと、侍の姿は泥人形が溶けるように消えていった。
直後、御剣は重く深く、そして長い長い息をこぼした。
真剣の攻撃を躱して、加速して、ずっと張り詰めっぱなしだった反動だろう。
「そうだ、あの刀は」
あたりを見回してみるが、例の刀の姿はどこにも見当たらない。
折るつもりの一撃だったが、向こうもそうそう折られるつもりはなかったらしい。

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