寝子島呪刀奇譚｜リアクション

寝子島呪刀奇譚

ほとんど日の暮れかけた川沿いの道を、優木遥斗は息せき切って走っていた。
　本土の道場からの帰り道で、寮の門限まであまり余裕がない。
　そんな時に限って背後から感じる、いやな気配。
「……あまり時間がないんだがな」
　逃してくれるとも思えず、暗い川縁の広場へ下りる。
　暗がりの中に白く輝く刃の動きを見ながら、素振り用の竹刀を取り出した。中の鉄棒の重さを感じながら構えた、その時。
　暗がりの中でもなお目立つ黒い人影が、その刃が、目の前まで迫ろうとしていた。
　一度距離を取ろうとするが、敵の方が速い。
「ぐっ……！」
　咄嗟に盾にした竹刀に、刃が食い込んだ。
　鉄棒と刃が激突した衝撃が、柄を握る指先から腕を通じ、身体の芯にまで達するのを感じる。
　地面を踏みしめ、思いきり力をこめた。
　刀を押し返すが、その直後には既に脇へと回り込まれている。
　身を翻す遥斗。その脇腹に、じわりとした痛みが広がっていく。
　続く斬り上げを、辛うじて竹刀で受け止める。
　喉元に迫る刃から迸る、命へと届かせようとする殺意。
　睥睨する瞳から迸る、冷たく鋭い虚無じみた気配。
　その時、今更のように思った。
　この竹刀が、素振り用ではなく試合用だったら。
　自分はとっくに、死んでいた。
　竹刀が容易く切り捨てられ、刃が喉笛を裂く様が脳裏をかすめる。背筋を走る寒気と、腹の奥から酸いものがこみ上げてくる感覚。
「うっ、おぉぉぉ！」
　ほとんど衝動的に吠えると、力任せに敵を払いのけた。しかし、追撃はやはりあっさりと躱される。
　これまで、パワーに重点を置いた戦い方をしてきた。
　今まではそれで充分だったし、だから今日も素振り用の竹刀を選んだ。
　だが、今はそれでは遅いのだ。
（ろっこんを……いや、通じるのか？）
　警戒して動きが鈍くなってくれるなら、それでいい。
　だが、ただの強風だと悟られたら？　あるいは使用を誘われ、利用されたら？
　考える間にも傷を負い、その痛みが焦りを呼ぶ。
　焦りが思考を撹拌し、撹拌された思考はさらなる焦りと傷を呼ぶ。
　せめて一撃見舞えれば、その隙に体勢を、そして思考を立て直せるかもしれないのに。
　（……待てよ）
　はたと気付く。
　進化能力のカマイタチを本気で放てば、あるいは。
　だがそれを考えると、腹の奥が重く沈んだ。
　今まで、本気で斬るつもりで……相手を殺す気で戦ったことは、一度もないのだ。
　だが今回は、そうしなければ死ぬかもしれない。
　それはわかっている。傷を負うたび、いやというほど実感する。
　だから。
　死なないために、殺す気で――
（――いや）
　朦朧とし始めた頭の中で、閃きが走った。

　殺意は、殺気は、刃の方から感じなかったか？

　だとすれば、持ち手を斬っても意味はない。一撃に賭けるとしても、打ち込むべきはそっちじゃない。
「……っ！」
　不意に、鋭く冷たい痛みが胸を袈裟懸けに走った。
　膝をついたところへ振り下ろされる刃を、すんでのところで受け止める。
　文字通り、目と鼻の先まで迫る凶刃。
「おおッ！」
　地面を抉らんばかりの勢いで立ち上がり、敵の体ごと押しのける。
　竹刀を投げ置き、背負ったままの布袋から取り出すのは試合用の軽い竹刀。
　回り込んで、斬撃を躱す。
　その動きは、今までよりも確かに速い。
　《風の籠手・進》――全力を込めた振り下ろしを、強風を、刀を握る手に叩き込む。
　吹き飛んだ刃が、宙を舞って地面に突き立った。
「これで……」
　そのまま処分しようと引き抜いた途端、凄まじい殺気が体の中を駆け巡る。
　カマイタチを浴びせることを考えた時にすら感じなかった、暗くて黒い感情が荒れ狂う。
　何かを切り刻みたくて、たまらなくなる。
　それを振り払って、近くにあった岩へ刃を振りかざす。
　――だが。
「なっ」
　叩きつけようとしたその瞬間、刃は何処へともなく消え去っていた。

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