猫又川の狐化かし｜リアクション

猫又川の狐化かし

　その化け狐の姿をはっきりと認めた影がひとつある。後ろで何事かをつぶやいている。いや、唱えている。
「何奴！」
フツウの者には見破れぬはず。獣の獰猛さを隠そうともせず、狐少年は気配に振り向く。
「化生のものか、魔障のものか、正体をあらわせ」
四つの指を格子に組み、その中の穴から狐を覗く少年がいた。猫目の少年、民谷鋭二の組んだ『狐の窓』には、古臭い着物の少年ではなく、体こそ小さいものの三つの尾が生え出た狐が見える。
「化生のものか、魔障のものか、正体をあらわせ！」
「貴様ああ!!」
古狐は鋭二に向かって吼えた。

　鋭二の狐の窓はぽかりと開いた虚ろな瞳のようだ。瞳のない目に追い詰められて、狐は思わず後じさる。
「なぜだ。なぜ惑わされない、なぜお前たちは。許さん、許さんぞ」
声だけは歳若の少年のものであったが、その言葉は老獪な男のもの、ぎらぎらとした目は妖獣のまなざし。背に木の幹が触れて後がないと知るや、狐は鋭二の両腕をつかんだ。手首をぎりぎりと締め上げ、『狐の窓』を強引に解く。
「ぐっ……！」
鋭二が痛みに苦しむのを見て狐は笑った。
「俺の正体が見えたとて何とする。知恵はあっても組み合いではどうかな」
狐の手が少年の喉元に伸びた。

「カーキー！　かかれ！」
　小さな姿が一閃し、その腕から血しぶきが飛ぶ。化け狐はぎゃっという声を上げて鋭二を突き飛ばした。自分に傷を負わせた主は、勇敢にうなりを上げる犬。まだ小さいが、犬の威嚇の声は狐に本能的な怖れを抱かせる。
「く、き、貴様……」
「観念しろ」
飼い犬に号令した八神修は狐にひたひたと近寄る。その懐からは拳銃が取り出された。化け狐の少年は怒りに目を剥く。
「銃は知っているだろう？　これで撃たれるとどうなるかも」
ぴたりとこめかみに銃を突きつけ、抑揚のない声で修は言った。その後ろには、腕の止血を終えたばかりの逆巻天野がいる。天野は黙って見ていた。があと吠えて、狐は修から逃れようとする。痛みに耐えて鋭二が押さえつけ、カーキーが吠えて牽制した。
「ここにいたのか、いたずら悪狐め！」
吠え声に気づいた握利平もその場に到着する。古風な着物の少年が狐の正体だと気づくや、利平は『にぎりっぺ』で握った拳を少年の鼻先につき付け、思い切り開いた。
「ぎゃーーーーーっ！」
凝縮された、あまり洗ってもらっていない蒸れた犬の匂いに、少年は苦しみ暴れ回る。たまらず本性の一部が漏れ、獣の耳と三本の尾が現れ出た。悪臭に顔をしかめてはいたが、狐少年が苦しむ姿にも慈悲はなく、修は銃の引き金を引く。
「この位置なら外さない。脳まで届くな、臭いの次は痛いと泣く番か？」
「やめろっ、や…！」
ぱん、と間の抜けた音がして、銃口からは花が咲く。緊張と恐怖の糸が切れ、狐はずるずるとくず折れる。
「まったく、趣味が悪いよね」
天野は呆れたように修に言って見せた。
「これぐらいのいたずらはやり返されて当然だ。殺されかけた気分はどうだ？」
化かす対象でしかなかったはずの人間たちにやり込められて、狐の顔は青ざめ、呆然としていた。立派な尾はだらりと垂れたままになる。