猫又川の狐化かし｜リアクション

猫又川の狐化かし

「僕はね。生まれてこの方、ずっとぱっとしなくって、ずっと一人だったんだ」
　男はもれいびたちと、狐の前で、ぽつりぽつりと語り出す。
「頭も良くなかったし、仕事も大してできない。恋が実ったことだってなかったなぁ」
自嘲するように茜空を仰いだ。
「それでもまじめに、誠実に生きていれば報われる。そう思っていたんだけどね。現実は違ってた。口を開けて、いいことが起きるのを待っているだけじゃだめだったんだよ。僕は何もかも足りないのに、何も努力していなかった」
上向けた顔を下ろして、正面の狐少年をまた見る。
「この子だけだったんだよ。それでも、ずっと僕の相手をしてくれたのは」
毒島柘榴と神無月文貴、小さいころから知る旧市街の二人を見上げて力なく微笑む。
「優れた人間は、すぐに僕の先に行って、見えなくなってしまった。うらやましくて、寂しかった」

「……俺もだ」
ほどけかけた帯を結びなおしながら、狐が言った。
「歳古りて妖狐に近づいても、この島では珍しくもなんともない。妖異よりもずっとたちが悪い、なんとかいう神のおこぼれをもらったお前たちのような者ばかりがいるからな」
そう言う狐の少年の声には、嫉妬と憎しみが混じっていた。
「このおっさんだけは違った。小さいころから、バカがつくほど正直で、俺が何度誘っても乗ってきた。遊ぶだけ遊んで、最後は取り殺して俺の糧にしてやろうと思っていたが……」
妖怪の本性を垣間見せる言葉に、辺りにいたもれいびたちは殺気立つ。
「そんな気になれなくなっちまった。化けるのが下手だった、俺の父にこいつは少し似ている。俺を守ってとっとと撃たれて死んじまった、そんなバカな親狐にな」
はは、と狐は自分を笑う。化かし切れずに、人間に捕まってしまった愚かな自分を。
「こいつが死ぬまで付き合ってやってもいいかなと思ったんだよ……」
「バカかてめぇ。構ってほしいならもっと違う形でやれ！」
柘榴の怒りはこんな言葉では収まらない。
「やい、クソ狐。いいこと言ったつもりかもしれねえがな。お前の化かしはおっさんの情けあってのことなんだよ。おっさんが度の過ぎたお人よしだったからこそ、ほっとけなくて付き合ってやってたんじゃねぇか。次に同じことやったら、毛皮にするぞ！」
それは文貴も同じだった。
「ふん。にわかに力を得た程度の人間が何を偉そうに」
「んだとこらァ！」
ここまでの不利にあってもなお悪たれる狐に、文貴は刀を抜きかける。

「えいっ」
　殺伐の頂点を極めかねないそのシーンに、双葉仄が飛び出し、狐の鼻先をデコピンの要領で思い切りはじく。イヌ科の鼻は神経が集まった急所だ。狐は声もなく悶絶する。
「はぎゃあ！　ひ……ひはま！（き……きさま！）」
ようやく身を起こした狐に、仄は言い聞かせるように語りかけた。
「おいお前。このままではお前は遊び相手どころか自分の意義を失うのだぞ。おっさんを死なせてみろ。遊ぶことができなくなったとき、お前にも喪失の意味がわかるだろう。だが、それを知るにはまだ早いぞ。じゅり」
「じゅり!?」
「お前の名だ。くれてやる。かわいかろう？」
坊主頭のレトロな和服の少年には、いささか奇抜すぎる名前だった。憎しみに燃え、痛みに涙目になった狐少年の目が驚きであちらこちらに振れ回る。
「何がじゅりだ！　そんな女のような、『り』の付く名前、いらんわ！」
「何だと！」
おなじ『り』の付く利平が立ち上がり、まだ犬の臭いが残る拳を狐の顔に突きつけた。
「退屈はさせんぞ、じゅり？　ウチに来い。理事長に話せばおもしろがって学校のペットにしてくれるかも知れん」
「ふざけるな！　妖狐は誇り高き種族ぞ。人間の僕になど！」

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