猫又川の狐化かし｜リアクション

猫又川の狐化かし

　目がかすんで、足元がよく見えないのは、こらえきれない涙がにじんでくるせいだ。
「姉様、姉様……もうずっと会ってない。さみしいよ……」
涙の粒に西日の光が飛び込んで、ますます前が見えなくなる。花風ももは今日も涙に暮れていた。たった一人の姉妹、義姉の花風冴来に、ももは会いたくてたまらなかった。手を握り、やさしく呼びかけ、髪をなでてもらいたかった。そうしてもらえさえすれば、ずっとこらえてきた寂しさなんて、一瞬で消えてしまうのに。どうしたことか、義姉は自宅を出て猫鳴館という薄暗くて怪しい寮に移り住んでしまっている。だから会いにに行ったのに、そこに義姉の姿はなかった。
「あの寮、暗くて怖いけど、がんばって行ったのに……お留守だって……どうして……」
ももが手にするかわいらしい紙袋には、手作りのお菓子が入っていた。渡す相手の見つからないまま、ももはとぼとぼと歩いていた。
「姉様。僕のことなんかもう忘れちゃったの？　どうしていつもお留守なの？　早くお家に……帰ってきて……」
寂しくて、寂しくて、自分の一部どころか、ほとんどをなくしてしまったように苦しい。当てもなくさまようももの足は、いつのまにか猫又川に向かっていた。狐のまやかしが支配する常ならぬその場所に、ももは知らずに足を踏み入れる。
「……あれは、なに？」

　ももの目の前には、かつて住んでいた家があった。二階建ての洋風家屋。真新しくきれいだ。暖かな光が窓からもれ、楽しそうな笑い声が聞こえる。
「……僕の、声……？」
気づけばももはリビングにいた。誰か、よく知っている人。自分の大切な人。たぶん、自分の、家族。『たぶんももの家族であるはず』の人々が、いるようだった。ようだった、というのは、その人々から懐かしさを感じはするものの、ももには彼らの顔が見えなかったからだった。目を凝らしてもかすんで、どんな顔をしていたのか思い出せない。
「僕の、前のお家……。でも、だれ、なの……」

思い出して。
思い出さないで。
思い出して。

「う、うう……頭が、いたい、よ」
目の奥に何か熱い物を差し込まれたように、鋭い痛みが襲う。ももは頭を押さえて苦しみ始めた。ピンクの頭髪がもがくたびに、乱れる。
「助けて……思い出せない、姉、様……」
ももは狐が仕掛けておいた幻惑の種に、自ら深く沈みこんでいることに気づかない。

　騒動をまるで遠くに聞くように、ゆらり、ゆらりと川岸へやってくる少女がいた。首しか見えなくなっている中年男。必死の形相で手を伸ばす人々。命に関わる出来事が間近で起きているというのに、少女は何も感じるところはないようだ。
「殺されかかっている人間には興味はないけど、狐の方ならお友達になりたいわ」
整った顔立ちにそっと浮かべる笑みは美しく可憐であるが、隠し切れない狂気が垣間見える。大騒動の中、この少女、花風冴来に注意を向けるものはない。冴来は長い金の髪を振り、首をゆっくりとめぐらせて、群集を見回した。ずいぶんと離れたところ、視界の端に桃色の髪が映る。
「――もも」