悔いても仕方のないことですが。
　――今日は洗濯物日和って天気予報で言ってたのに……。
　ちょっと恨めしげに、青龍寺 琴理は空をにらんだのでした。
　真っ黒な空から降る雨は、手加減する気などまるでないようです。
　折り畳み傘もないし置き傘もしていないので、琴理に残された選択肢はたった二つ。
　走って帰るか、ひたすら待つか。
　――まあ、今日はそれほど寒くないし……。
　ここできっぱり、一言で申し上げたい情報があります。
　琴理は美人です。
　それも、立てば芍薬、座れば牡丹……あの言葉が似合う古典的な秀麗さ。もちろん、歩く姿は百合の花そのものです。つやのある豊かな黒髪、雪のように白い肌、あどけなさと大人っぽさの両方が感じられる可憐な目鼻立ち……そしてなんといっても、憂いに満ちた深みのある瞳は、男女問わず直視する者の心を奪うことでしょう。街に出れば、すれ違う男性の二人に一人は思わず振り返ってしまいます。黙って駅前に立っていたら、かなりの高確率で男性にお誘いを受けてしまいます。問題は、琴理がそういう風にちやほやされることを、それほど好まないということなのですけれども。
　さてそんな彼女ですからここで男子生徒が、「い、一緒に帰らない？」なんて声をかけてきてもいいタイミングだったりするのですが、あいにくと今日は、そういうこともなさそうです。（あったところでやんわりとお断りするだけですが）
「走れば、大丈夫でしょうかね」
　月下美人ならぬ雨下の美人となって、琴理は外に踏み出しました。

　ところで生徒会長海原 茂はといえば、ただ歩いていました。黙々と。
　そうです。ご存じのように彼は、雨にまったくかまわず、傘なしで歩いているのです。きっちり計算しているかのように一定のペースです。きっと晴れていても、彼の歩くスピードには何の変化もないことでしょう。
「あれは？」
　琴理は小走りで彼に追いつきました。
　手で顔にかかる雨を避けながら、
「茂くん？」
「ああ……！？」
　するっと流し目した海原茂ですが、なにを目撃したのかぶほっと声を上げました。
「そんなにびっくりした？　急に声をかけちゃったから……？」
「……あ、うん！？　そうだ。驚いた」
　茂と琴理はクラスこそ違え、同じ三年生でありますし共通の知り合いもいますので、たまに話すことくらいならあります。
　真っ正面を向いたまま、茂は一定のペースで歩き続けます。
　けれどその仕草が、どことなくギクシャクして見えるのは気のせいでしょうか。
　生真面目大真面目な茂には、ちょっとばかりからかってみたいところがあります。琴理はふと、彼の『秘密』について思いを馳せました。早足で彼に並んで、
「本は雨に濡れると大変よ。姫を守ってあげてね」
　と、ウインクしてみせたのでした。
　姫、それは、彼が「旅行ガイド」と言い張る謎の『愛読書』のシリーズを指しています。これまで登場した例ですと……『おちこぼれ姫のイケナイ宿紹介』『おちこぼれ姫のアブナイ温泉紹介』『おちこぼれ姫のなまらイケナイ北海道』なんてのがありました。
　これ本当に旅行ガイドなんでしょうか？　まあ、賢明な読者の皆さんであれば、どういう中身なのかは想像がつくことでしょう。
「な、なんの話……！？」
　ぶほぅ、と謎の声を発して、茂は自分の鼻に手を当てました。
「すまん、クシャミをしてしまった」
　のわりには、鼻血をこらえているようにも見えます。真実のほどはわかりませんが。
「？」
　からかいがすぎたでしょうか――ふとそう思って何気なく視線を落とすと、なにやら胸元が、ちょっと困ったことになっているのに琴理は気づきました。
　雨に濡れて白いブラウスが、ぴったり。隠しきれない膨らみも、フォルム鮮やかな状態です。一応、手で隠してはいますけど、谷間が露出してしまったような……？
　まあ気にしても仕方ない、むしろ気にすべきは体調でしょう。
　琴理は足を速めて、
「茂くんも体調には気をつけてね。風邪引いたらお見舞いに行こうか？」
　くすっと笑って、彼に手を振りました。
「じゃ、またね」
「お見舞い……！？　い、いや結構だ。達者でな」
　ぎこちなく手を振るものの、茂はずっと、下を向いていました。
　ムッツリなのやら純情なのやら……？
　ふたたび琴理は駆け出すのでした。ナンパする人が現れないうちに帰りましょう。
　雨雨雨のびしょびしょ三昧。でもけっこう楽しいものです。たまには、こういうのも。なんだか開放的な気持ちになります。
　思わず両腕を拡げると、琴理のよく育った双つの果実がふるっと揺れました。

　どこに怒ればいいのか雪原 真白にはわかりませんが、ともかく、これだけは言いたい。
「もうっ、天気予報ったら当てにならないんだもん！」
　なんでこんなに土砂降りになっているのしょうか。
　傘なんて当然、持ってきていません。
　外に飛び出せば滝の雨、もうこれは避けられそうもない運命です。
　そういえばちょっと前、すごく美人の上級生（青龍寺琴理です）がどこか優雅に雨中へ生み出しましたが、真白もいっそそうするかと考えはじめていました。
　――桜花寮までは学校から大体１キロくらいだっけ？
　カチャカチャカチャカチャ、チーン！　という計算機風の音は一応、頭の中でしましたけれど、実際のところ真白は、そこまで綿密な計画を立てたわけではありませんでした。
　いうなれば、出たとこ勝負。
「うん、走っていけばもしかしたらそんなに濡れないかも！」
　これが彼女の出した結論です。
　そもそも、いちいち悩んでから行動するのは性に合いません。まず行動してから考える、それでいいじゃないですか。少なくとも真白は、そうした生き様がモットーです。
　そうと決まれば話は早い、真白はひょいと頭に鞄をのせ猛ダッシュ開始です。
　ジャケットは教室に置き忘れています。暑かったので脱いでそのままです。
「きゃーっち！」
　という声が背後で聞こえましたが、振り返っている余裕はもうありません。というより雨に『キャッチ』されないくらいの高速で駆け抜けたい所存。矢のように弾丸のように！
　なかなかうまくいかないものです。
　勢いで雨粒なんか弾き飛ばしたい真白でしたが、無情なる雨にどしゃどしゃと降られ、あっという間にヘビーなずぶ濡れになってしまいました。
　髪はべしゃりと肌にくっつき、スカートだって水浸し、靴は両方ともスポンジ状態です。くわえて白いブラウスがほとんど透明といえるほど透け、真白の健康的な肌に貼り付いています。袖から水滴が、ぽたりぽたりと落ちるほどに。
　でもいいや、すぐそこだしこのまま走ろうっと――まだまだ走るつもりの彼女でしたが、ふと思い当たることがありました。
　そういえばこの帰り道って、信号がいくつあっただろうか、と。
　途中で信号にひっかかったら悲惨です。このびしょ濡れ状態で、立ち尽くして待たなければならないのですから。
　見えてきた、桜花寮です。
　――あそこに飛んで行けたら……。
　そんな願いも泡の夢のように消えてしまうのが、普通の人。
　そんな願いを、実現させる力があるのが真白でした。
「って、あぶないあぶない、また『ろっこん』を発動させちゃうところだったよ」
　彼女は苦笑いしました。考えなくこの力を使うのはやめよう、ヨコシマなことをせず真っ当に素直に生きよう……と、決めていたのです。
　それに、この能力の発動には高い代償を払う必要があるからです。
「って……」
　ところがぎっちょん。
　真白の眼前の光景は一変していました。桜花寮を遠目に雨の中走っていたはずが、すでにその桜花寮のドアの前にたどり着いていたのです。ただし、
　全裸で。
「い～や～！！！」
　説明させていただきます。
　真白の『ろっこん』こと『テレポーテーション』は、彼女の視界に入っており意識を集中させられる地点であれば、たやすく瞬間移動できるという強力な性質のものでした。しかしそこには一つ、大きな大きな欠点がありました。それは、衣服など、身に付けている物は一緒に転移できないということです。
　だから彼女は身一つ、生まれたままの姿で瞬間移動を終え、大声を上げているわけです。
　つまり、またしても、
　全裸で。（大事なことなので二回書きました。今回も！）
　まあすでに、自覚はなかったとはいえかなり際どい姿で駆けていた真白が、もう際どいどころではない状態にランクアップしただけ……と考えれば慰めになるかもしれません。ならない気もしますが。