五月病は恋の始まり｜リアクション

五月病は恋の始まり

　五月に憂鬱な気分になるなんて、想像できただろうか。
　芽吹きの春があった、繚乱の春があった。体が芯まで熱くなるような春もあった。
　けれど今、来島アカリの春は苛立ちの春、痛いくらい尖った気持ちを抱え込む春なのだった。
　好きなのに、イライラする。
　いや、好きだから、憤怒といっていいほどの感情に悩まされているのだ。
　アカリは学校から、背を丸めるようにして帰路についていた。
　すでに桜は散って久しく、桜の緑はもう、若葉と呼ぶにはためらわれるほど成長している。その木漏れ日の下を、歩む。
　一日心が晴れなかった。
　ワインのコルクに沢山の針を、めちゃくちゃに突き立てたもの、これがずっと心の中で、あっちへこっちへ転がっているような気がする。
　そんなときだから。
「アカリっ」

　語尾に星くずを散らしたようなロベルト・エメリヤノフの声が背後に聞こえても、アカリはあえてこれを無視したのだった。
「あれー？」
　桜餅のようにふにっと、おのれのほっぺたに指を当てロベルトは足を止める。
　前方をゆくあの姿は来島アカリのはずだ。ぴったりサイズの制服も、髪型もスニーカーの形と色も、すべてがトータルで「こんにちは、来島アカリです」と言っている。
　聞こえなかったのだろうか？
「アーカーリー♪」
　大型犬のように、後方からロベルトはアカリにむしゃぶりついた。
「今帰り？　奇遇だねえ僕もなんだよ……って放課後だから当たり前かぁ」
　普段以上にフレンドリー、当社比1.5倍といった甘えた声で、ロベルトはアカリの肩に顔を寄せる。
　ところが仰天したことに、
「なんですか」
　とアカリはマイナス100度に冷えた口調で返してきたのだ。体も硬い。
　――えっと、来島、今日もしかしてお腹痛いとか？
　ロベルトは思わず飛び退いた。心配そうに告げる。
「アカリ、なんか変だよ……どうかした？」
「別に……なんでもないですけど」
「本当に、なんでもない？」
「むー、しつこいですね……本当ですってば」
　と返すアカリの声色も口元も鋭い眼差しも、どう考えても『なんでもない』人のものとは思えない。原色のポスターカラーで塗りたくった以上に真っ赤な嘘ではないか。
　ただ、とりあえず体調は悪くなさそうだとロベルトは内心胸をなで下ろしている。
　いったいどうしたんだろう。
　僕、来島になにかした？　心当たりがまったくない……困ったなぁ。
　思い当たるところがあるとすれば、先日美少年をナンパしたことくらいだろう。
　だがあれはいわば異文化コミュニケーションの一環であって、少なくとも来島を怒らせる行為とは思えない……よね――。
　ともかく話さないことにはなにも判らない、とロベルトは心を決めた。
「立ち話もなんだから……寮の僕の部屋に来ないか？」
「どうして俺がロベルト先輩の部屋に行かないと行けないんですか」
「それとも、僕がアカリの部屋に行くほうがいいかな？」
　アカリはカバンを手にしたまま腕を組み、しばし黙考のすえ腹立たしげに答えた。
「……だったら俺の部屋に来て下さい。ただ、話が済んだらすぐ帰ってもらいますからね」