水底の世界｜リアクション

水底の世界

「五月ちゃん」
「……私は大丈夫です」
　暴れることも慟哭することも止め、瓦礫の神殿の上に身体をぐたりと伸ばすユニを、武道は栗色の瞳に映す。足元に座り込む五月にそっと声を掛ける。歪んだフレームを指に支えどうにかして掛けようと頑張りながら、五月はぼやける瞳を真直ぐにユニへと伸ばす。
「行ってあげてください」
「ありがと」
　五月の言葉に笑うなり、武道は大型の魚にも似て水を蹴る。
(ちょっと俺も仕切りなおし)
　月詠を頭にくっつけ動かぬ蛟の傍に降り、辺りを見回す。瓦礫の上に横たわる蛟の蒼い鱗のあちこち、赤い色が滲みだしている。
(そっか……)
　硬い鱗の下には柔らかな血肉がある。鱗が砕け血が溢れるまで、そうまで激しく暴れた少年に痛まし気な眼差しを向け、武道は血が幾筋となく揺蕩う部位に急いだ。
　少年が動かぬ今であれば、己のろっこんが使えるかもしれない。
(気休め程度だろうが)
　掌を手刀のかたちにし、血を溢れさせる鱗の脇を突く。手刀で突いた部分の感覚を麻痺させるろっこんの効き具合を瞬間的直観的に確かめ、次の負傷箇所へと向かう。
　鱗が破損したことに対する痛みが少なからず減少しているように感じられて、武道は小さく息を吐いた。
(痛くないほうがいいよな)
　ひとりに怯えて自分自身をも傷つけてしまうような小さな子であるのならば、それは尚更。
　視界を広げる。少し離れた尻尾の方でも、陰陽師のような衣装を纏った青年が蛇身の傷を優しく手当している。
「痛いのは良くないことだしね、うん」
　武道の視線に気づき、白露は青い瞳を和らげた。
　こちらは任せてと白い手を振る白露に手を振り返し、武道は縮んで尚巨大な蛟の身を改める。傷を見つけ次第、ろっこんで痛みを麻痺させてゆく。
「待って、」
　水中を進みかけていて、ふと声を掛けられた。蛇身の高さから見下ろす。
「怪我を……」
「へーきへーき」
「駄目です」
　へらりと笑いかけて、きっぱりと叱られた。黒髪を水に揺らし、新緑の瞳した女性は白い手を差し伸べる。
「すぐに処置します。降りて来てください」
　医師の声音で凛と言われ、武道は大人しく瓦礫の上に降りた。
「応急処置ですが」
　言いながら、若菜は手慣れた仕草で偶然見かけた少年の額の傷に絆創膏を貼り、血の止まらぬ足に包帯を巻く。
　ありがとうと聡明に笑い、少年は再び水中に躍り上がった。ユニが負った傷のもとへ泳いでいこうとする少年を追うかたちで、若菜も水を掴む。瓦礫を蹴り、水に浮かぶ。目指すのはユニの頭部。
「ユニ君」
　ユニの頭部に抱き着き、飽きることなく冷たい鱗の額を撫で続けていた月詠が手を伸ばす。白い髪の少女の手に手を引かれ、若菜はユニの蒼い瞳をそっと覗き込んだ。
「大丈夫、みんな居るよ。貴方が大好きなアレスさんも」
　ゆっくり丁寧に言葉を降らせる。万が一また子供が暴れたとしても振り落とされぬようしっかりと、抱擁するように蛇身を掴む。決して責めず、優しく声を掛け続ける。
「懐中時計の星が光ったの」
　内緒話をするように笑ってみせる。
　以前この地を訪れた際、ユニが渡してくれた懐中時計。内側に星を宿したような懐中時計は、ここに呼ばれる直前、確かに光った。
「……貴方が名前を呼んでくれたから」
　たとえそれが見間違いであったとしても、若菜はそうと信じる。ユニが呼んだから、己は再びこの地に来られた。哀しみ嘆く少年の傍に立ち、抱きしめることが出来た。
「大丈夫。貴方の声はちゃんと届いてる。貴方を救いたくて、みんなここに来たの」
　そのことを伝えたかった。
　破壊された町を背に、若菜はつとめて明るく微笑んで見せる。
「前みたいに一緒にお話をしよう？」