白い石柱に、白い巨石の屋根に押し包まれた神殿内に、蒼い鱗が舞っている。光の一筋も差し込まぬ神殿に銀色の光を撒き散らしながら、さらさらと、シャラシャラと石床に降る。
裸足の爪先に鱗が触れる。
全身を包み込む水よりも、この町の全てを埋め世界の全てを浸す水よりも冷たい鱗の感覚に、滅びゆこうとする世界にただひとり遺された少年は息を詰めた。
「……っ、」
命尽るまで、大蛟のかたちが崩れるまで護り続けてくれた己が町の巨獣を呼ぼうとして呼べなかった。かたちを崩して後、どれだけ呼ぼうとも彼が応じてくれることはなかった。
蒼い鱗が氷雪の如く漂う神殿の中、立ち尽くす。
ずっと前までは、町が水に侵され人々を溶かし尽くしてしまうまでは、神殿の中にまで町の人々の声が響いてきていた。翁の姿をした巨獣と共に神殿の扉をくぐって町に出れば、町の人々は皆優しくしてくれた。
町が、世界が、蒼い水に突如として消えても傍らには『町を護る巨獣』が傍にいてくれた。誰も居なくなった世界で己だけを護って存在してくれていた。寂しくないようにと時折別の世界から別の世界の人々を召喚してくれた。一緒に遊ばせてくれた。
今はもう、誰の声も聞こえない。
元より、彼の巨獣は寿命が尽きかけていた。元より己は巨獣が死した後、己が巨獣となり町を護るはずの存在だった。そしていつか己が死に近づけば、町の住人から選ばれた子供が新たな巨獣となるべく神殿に召されてくるはずだった。そうしてずっと、ずっとずっと、この町もこの世界も続いてゆくはずだった。
今はもう、誰の声も聞こえない。人々の声も、傍らで抱きしめてくれていた巨獣の声も。巨獣が呼んでくれた別の世界の人々の声も。
「じい、ちゃ……」
声がひび割れる。先に訪れて遊んでくれた人々の名を呼べば呼ぶほど、声が震える。掠れる。先に名を呼んでくれたひとたちの名を繰り返し呼ぶ。そのうちのひとりが首に掛けてくれた星屑を散りばめたような首飾りを掌に握りしめる。
どれだけ呼んでも、誰の声も聞こえない。
「いやだ」
足元に降り積もりゆく蒼い鱗を、巨獣であったものを両腕に抱きしめる。氷よりも冷たい鱗を胸に抱く。
水底の世界に、たったひとり取り残されてしまう。
かたちを崩して死んでしまうより前に、巨獣は別の世界へ行けと言ったけれど。そのための橋渡しになればと別の世界の人々をこちらに喚んでくれたりもしたけれど。
(でも、みんな陸の上のひとたちだ)
水底に生きる己はもう、陸の上では長く生きられない。この身は巨獣の力によって水中で生きられるように変化させられている。
向こうの世界に行ったとしても、きっと誰も居ない水の底で暮らさなくてはならない。
「嫌だ」
シャラシャラと鱗が鳴る。耳元に鳴る音に瞳をもたげて、
「いや、……嫌、いやぁ!」
己に向けて殺到する蒼い濁流にも似た幾千幾万の鱗を見た。巨獣が死してしまえば、次の巨獣は己となる。護るべきものが絶えた今も、その仕組みは変わっていない。そのことに絶望する。
「嫌だ、だってここにはもう、……」
蒼い鱗に全身を覆われてゆきながら、その身を少年から巨大な蛟へと姿を変えながら、少年は泣く。
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白砂に埋められた地面が震えている。視界を埋める水の青を蒼い波が乱して過ぎる。
「っ、……」
押し寄せた波に華奢な身を突かれ、
塔ヶ崎 璃亜は空色の瞳を瞬かせた。波に押し倒されそうになって咄嗟に踏ん張るも、砂に足を取られ敢え無く引っ繰り返る。全身を包み込む冷たい水の中、纏ったスカートの裾が大きく翻った。慌てて起き上がり、スカートを抑える。
(ここは、……)
蒼く碧い水の中にいること、水の中にあって息が出来ることを確かめる。視線を伸ばせば、以前迷い込んだことのある白亜の町があった。
蒼い波が押し寄せる。
「……っ」
再度押し倒されそうになって息を詰めて、
「な……」
見た。緩やかな丘に穏やかに広がっていた白珊瑚でできた町のほとんどが無残に破壊されている。その有様はまるで巨大なナニカに押し潰され、薙ぎ倒され、吹き飛ばされたかのよう。
以前見た、静謐に占められながらも穏やかな時間の中にあった町の面影は最早無い。
「どうして」
呟く璃亜の声に応じるように、町の丘の天辺に咆哮が轟いた。
見仰ぐ。蒼い巨獣の姿を見る。町を護るはずの大蛟が慟哭するかの如く身を激しくよじり、うねらせる度、白い町が突き崩されてゆく。
「やめて、……やめて――!」
蒼い水に真珠のような泡を吐き、璃亜は悲鳴をあげた。
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空が震えている。己を包む蒼い水が震えている。
「これは、……また」
呟いて、
薄野 五月は言葉を失った。過去に二度訪れた白い町が、蒼い鱗持つ巨獣に今しも破壊し尽されようとしている。
「っと、おや?」
思わず握りしめかけた指に、身を包み込む水よりも温かく固い感触を感じた。持ち上げた掌を開けば、そこには以前この町で貰った蒼い色した魚の鱗。五月の視線を受けて、蒼い鱗はゆらりと揺れた。水中に翻るなり、鱗は小さな魚の姿となる。
『タスケテ、……たす、けて』
口をぱくぱくと動かし、小魚は以前丘の上の神殿で出会った老翁の声を五月の頭に響かせる。
『町に巡らせた結界より出てしまえば、あの子は溶けて死ぬ。結界が解ければ、生命を溶かす水がこの町にも流れ込む。あの子も、あなたたちも死ぬ』
すまない、と最早小魚の姿を象るのが精いっぱいなかつての町を護る巨獣は詫びる。
『このような事態にあなたたちを呼び込んでしまった。けれど、……けれど、どうかあの子を救ってはもらえまいか。寂しさと絶望に呑まれるあまり自死を選ぼうとするあの子を、……どうかあなたたちの世界に呼んではもらえまいか』
水の中にあって轟音が響き渡る。丘の町の家々をその身で突き崩す度に割れる蒼い鱗を水中にまき散らし、赤い血をその身から溢れさせ、大蛟と化した『あの子』が暴れている。
「ユニ君」
眼鏡の下の黒い瞳に力を籠め、五月は少年の名を呼んだ。
『落ち着かせてほしい。どのような手段であっても構わない。荒ぶる巨獣を叱り、宥め、……私も斯様な姿となり果てはしたが、あの子を助けるためならば最期の最期まで尽力する。済まないが、町に散らばった私の鱗を出来得る限り集めてはくれまいか。僅かなりともあの子の動きを止めてみせよう』
小魚は蒼い鰭を震わせる。それから、と囁く。難しいかもしれないが、顎の下にある一枚だけ逆さの鱗を砕けば、蛇身は半分程に縮むだろう――
『落ち着けば、巨獣の力持つあの子はあなたたちの世界への扉を開ける。あなたたちもあなたたちの世界へと帰ることが出来る――』
こんにちは。阿瀬 春と申します。
今回は、水底の世界の最終話をお届けにあがりました。
ガイドには塔ヶ崎 璃亜さんと薄野 五月さんにご登場いただきました。ありがとうございます!
もしもご参加いただけます場合は、ガイドに関わらずどうかご自由にアクションをお書きください。
さて。そんなこんなで大破壊の真っ最中です。
大蛟と化して暴れる子供をどうにかして落ち着かせてあげてください。小魚も言っていますが、手段は問いません。なにせ(精神は子供と言えど)相手は身の丈およそ百メートル近い蛇身です。
こちらの世界に持ち込めるものは、普段みなさんが持っているようなもの限定とさせてください。寝子島でフツウに持っていてもおかしくないもの、です。
大蛟は暴れに暴れて町を破壊し尽して後、町を護る結界を破り水面を目指すつもりのようです。結界の外は、過去に町や世界に住まう人々や生物を文字通り『溶かした』水に満ちています。
大蛟が町を破壊し尽すより先に、結界を破るよりも先に、彼を落ち着かせてください。そうすれば大蛟の体は縮みます。元の少年の姿となることも可能です。
小魚は少年を寝子島に招いてやってほしいようですが、孤独のあまり死にたいと願う少年をどう説得するかはお任せします。
ですが、大蛟を鎮めるひとつの方法として。
大蛟が暴れに暴れ、破壊されつつある町のあちこち、『蒼い巨大魚の鱗』が散らばっています。ひとところに集めれば、少しの間、元の『町を護る巨獣』の姿を取り戻し、暴れる大蛟の動きを封じることもできます。その間に説得が叶えば、あるいは。
■登場人物
アレス
以前のシナリオ『水底の町』や『水底の廃墟』で『蒼い巨大魚の鱗』を入手されたり、破壊される町のあちこちに転がる『蒼い鱗』を拾ったりしたPCさんの前に小魚の姿となって現れます。そのままでは最早何の力も持たず、助けて助けてと繰り返した挙句、ある程度時間が過ぎるとふわりと姿を消してしまうだけの存在となっていますが……
以前は町を護る巨獣として大蛟の姿だったり白鬚の老人の姿だったり、寝子島から水底の世界へPCさんを喚んだりしていましたが、今はもうほとんど残留思念だけの存在です。
ユニ
以前は蒼い髪の九歳ほどの少年の姿をしていましたが、今は蒼い鱗の大蛟の姿となっています。
世界にたったひとり残された寂しさに錯乱状態。姿は恐ろし気な上に石壁さえ破壊する力持つ大蛟ですが、その実は泣いて喚いて暴れるばかりの子供です。
切羽詰まった状況ではありますが、謎解きとかもありませんし、初めての方でも全然大丈夫ですー。
それでは、水底の世界でみなさまのご参加をお待ちしております。