水底の世界｜リアクション

水底の世界

　優しい掌に触れられながら瞬く。
　不思議だった。
　身体のあちこちが理由を知っている。身体を包み蛇身と化させた鱗が割れて砕けるまで神殿の壁に身を打ち付けたからだ。神殿を壊してからは町の家々に身を投げつけたからだ。
　生まれ育った町が壊れている。この身で散々壊して回ったのに、この身は未だ生きている。
　神殿を壊した。町を壊した。違う世界から助けに来てくれた人々でさえ、自分勝手な怒りと寂しさに巻き込んで傷つけた。
　それなのに、全てを壊し尽そうとした大蛟の身体に、優しい手がいくつもいくつも触れている。痛みを和らげてくれようとしている。話をしようと言ってくれる。独りではないと言ってくれている。
「ユニ君、ユニ君……！」
　喚き散らして巨獣の力で波を起こし弾き飛ばした人々が、苦労しながら瓦礫の山を越えて再び傍までやって来てくれる。怪我をさせてしまったのに。こっちに来るなとばかり吹き飛ばしてしまったのに。
「ユニ君！」
　息を弾ませ黒髪を揺らしながら近づいてきた美咲紀が、ぺたりと前に座り込む。切れた息を整えることもせず、鮮やかに笑う。
「ユニ君、一人ぼっちではないのです」
　ね、と見回す美咲紀の視線の先、同じように再び瓦礫の山を越えて来た月や修や冴来が頷く。傷ついた蛇身の手当をしてくれていた白露がひらりと手を振る。
「来たければ寝子島にくればいい」
　素っ気ない口調で言う月の瞳は、揺らぐことなくこちらを見つめ続けてくれている。
「大丈夫、何とかなるさ」
　一度拒絶したのに、手酷く跳ね除けたのに、責めるような言葉を何一つも口にしないでいてくれる。
　そうそう、と美咲紀が何度も頷いて同意を示す。
「ガラッと環境変わるのはとても不安ですけど、皆が手助けしてくれますですよ」
　――寝子島。そこが彼らの住むところの名前。世界を違える己を助けようとしてくれる人たちの住むところ。この世界にひとり生きるよりもそちらに迎え入れてもらえと先代が願ったところ。
　そこはどんなところだろう。ふと、興味が湧いた。
　蛟に変化して喋られぬはずなのに、こちらの興味を読み取ったかのように、温かな掌がもうひとつ鼻先に触れた。そのまま、柔らかく抱きしめられる。宥めるような掌の温かさと優しさに、それでも戸惑う。傷つけたのに。下手をすれば怪我では済まないほどに激しく吹き飛ばしたのに。
「島には色々居るよ」
　小さなものを撫でることに慣れた掌で、修は微笑む。美咲紀が楽しそうに言葉を継いだ。
「そうなのです、人以外にも色々な存在が居るのですっ」
「一番目に付くのは俺達人間だけど、他の動物もいる」
　妖怪もいる、と秘密を囁くように瞳を細める。
「島においで。そうすれば何時でも会える。沢山の生き物達も居るから、……ユニが守ってくれるなら心強いよ」
　三夜湖に海に、と修は指を折る。居場所だってたくさんあると教えてくれる。
「だからね、だから大丈夫。一緒に行きましょう」
　美咲紀が笑顔で手を差し伸べてくる。
　大丈夫だいじょうぶ、と周囲の人々から声を掛けられ蛟の頭部を代わる代わる撫でられ抱きしめられる。
「何なら僕のところへおいで。一緒に楽しく暮らそう」
　ふわり、白露が笑う。笑いながら、傍に立つ冴来の細い背をそっと押す。
　白露に後押しされ、冴来は空色の瞳を縁取る金の睫毛を何度も上下させた。よろめくように蒼い蛟の傍に歩みよる。
　何度吹き飛ばされても構わなかった。傷つけられても構わなかった。それでも、世界にただひとり遺されて嘆く子どもに伝えておきたい気持ちがあった。
「独りになんて、しないしさせない」
　熱を帯びた声音で言い切る。
(貴方の孤独は貴方のもの)
　それは痛いほどに知っている。他人である自分にはその孤独を全て感じることはできない。肩代わりなど、なおさら。
(だけど、)
　寄り添うことなら出来る。
「貴方が独りにならないように、ならずに済むように、どうすれば良いかを一緒に考えましょう」
　その為に力を尽くそう。
　冴来は蛟を見つめる。身を苛む孤独にもがき苦しみ、愛した世界を壊そうとした大きな怪物。蛟になり果てた己を厭い、己自身をも壊そうとした寂しくて哀しい子。
「何もかも総てを喪ってしまう前に此方の方へ」
　どうか、と冴来は乞う。
「愛させて、愛しい子」

「皆、ユニの幸せを願っているよ」
　蛟の冷たい鱗を飽きず撫で続けながら、修は祈るように問う。
「ユニはどうしたい？」
　独りになるのが恐ろしくて泣いて暴れた子どもは、何を願うのだろう。

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