平穏なれ、曝書の季節｜リアクション

平穏なれ、曝書の季節

　「作業する連中！　大事な本に鼻水なんかかけられちゃたまらないからね、これを使いな」
と、桜崎巴がカウンターにどかりと箱を置く。『使い捨てマスク 50枚入り』と書かれていた。ジャージに着替えた鷺守昴はマスクを一枚拝借すると、ワイヤーを顔型に合わせてていねいに曲げ、ぴったりと口と鼻を覆うように装着した。運び出す書籍をてきぱきと廊下に置かれた段ボール箱に詰めていく。持参の手袋は本を傷めることがないように、また紙で手を傷つけないようにという配慮によるものだ。意外に古書の多い寝子高図書室は、家とは品揃えがだいぶ違う。いつ来ても新しい出会いがあるこの場所を、昴は頻繁に利用していた。こうして間近で見ると、年代ものの本はさすがに湿気と手垢でくたびれているようだ。ふと気になって表紙を見ると『木天蓼市史』と読めた。そばにある本の表題は『寝子島編年史』、『落神伝説を紐解く』、『寝子島町郷土史』……島周辺の歴史や風土について書かれた資料本ばかりだ。思わず手にとって開きたくなってしまう。
「いかんいかん。今回は曝書の手伝いに来ているのだから」
昴は読みたい気持ちをぐっと抑えて、タイトルを何度か読み直し、すべてを暗記してしまってから、それらもまとめて廊下に運び出す。後で借りよう、タイトルを覚えておけば大丈夫だと自分に言い聞かせる。表紙の角やチリがぶつかり合って損傷することがないように、置く方向にも十分に気を遣って作業した。
「あんた、鷺守だっけ。なかなかできるねぇ。本の扱い方をわかってるじゃないか」
これには巴も感心しきりという顔だ。
「ああ、うん。一応書店の息子だからね」
言葉少なに答える昴。突然女子（しかもやや怖い感じの）に話しかけられ、少々動揺してしまった。
「あんたみたいなのが参加してくれると助かるよ。その辺、頼んだよ！」
豪快に反転して戻っていく巴を見送り、また昴は本たちの面倒を見る仕事に戻った。
（こういう作業も楽しいな。本を大切に扱いたいという気持ちを持って、皆が協力し合っている……）

「う～ん？　なんだか、騒がしいのねぇ」
　図書館の常連の一人、真辺伸幸は本日の異変をぬぼーと眺めていた。手には返すつもりの本を持っている。だが、本棚から本を忙しく取り出し、箱につめたり重ねたりしている生徒たちでごった返す中を突っ切ってカウンターまで行こうという覇気がどうしても芽生えてこない。わかりやすく言えば、そこまで行くのが面倒くさいのだ。困ったねぇ、どしよかねぇ、と体をゆらゆらさせていると、綾辻綾花が気づいてやってきた。
「返却ですか？　私、図書委員ですから。手続きしますね」
「あー。ありがとうねぇ。今日はどうして、こんなにわいわいしてるのかなぁ？」
「それはですね、本のメンテナンスを行うことに決まったからなんです。曝書というんですけど」
「ふんむー。お天気いいもんねぇ」
図書カードを見つめていた綾花の顔がぱっと明るくなる。
「あら。真辺……伸幸さん。伸幸さんは毎日本を借りているんですね。すごい」
「俺、結構読書家なのよー。欲しい本全部買ってたらお金もなくなっちゃうし、床が抜けちゃうからねぇ」
「ふふっ。そうですよね」
女子と会話が弾む青春めいた光景。だが、伸幸はその流れを自分でぶった切る。
「なら、俺にも手伝えることってあるー？　いつもここにはお世話になってるしねぇ」
「そうですね……修繕が必要な本が意外と多くて。手伝っていただけるならうれしいです」
「綾辻さん。ちょっといいかな？」
ここで、綾花に早川珪先生から声がかけられた。どうやら入力項目についての質問があるらしい。先生の声を聞いたとたん、綾花は顔を赤らめ、ねじで巻かれたようにぴょんと背を伸ばして元の場所に戻ってしまった。
「んー？　まぁいいかー。それじゃ修繕チームに混ぜてもらおうかねぇ」