【お花見】しづ心なく花の散るらむ｜リアクション

【お花見】しづ心なく花の散るらむ

「珪先生！」
　嬉しさのあまり、綾辻綾花の声は弾んでいた。
　川辺を歩いている早川珪を見つけたのだった。綾花は彼に駆け寄り、息が切れてはあはあ言いながら呼びかけている。
「先生、お散歩……ですか！？」
「天気がいいからね。桜も見ごろだ」
「わ、私も、散歩中なんです」
「こんな日はつい、外に出てしまうよね」
　珪は司書教諭なのだが、その肩書きから受ける野暮ったいイメージとは正反対の人物だ。ワインレッドのシャツに黒のジャケット、細身に仕立てられているせいかシャープなシルエットだが、整った口元に浮かぶ笑みには暖かみがある。
「先生は……いま、お一人ですか？」
「ああ、なんとなく出てきただけだし」
「だったらその……」
　一瞬言葉に詰まる。けれど、言わずに後悔するより、言って後悔するほうがずっといいと綾花は思った。だから言った。
「ご一緒させてもらって、いいでしょうか？」
　綾花としては多少、決意と覚悟を持っての発言だったものの、珪の反応たるや実にあっさりとしたものだった。
「うん、いいよ」
　これだけでもう綾花は有頂天なわけだが、それでも、さらに大胆にもこう提案している。こんなチャンス、もうないかもしれないのだ。
「あと……あとですね、ボート、乗りません？　一人で乗るのは勇気がいって……」

　夢ではない。断じて。
　さすがに頬をつねったりはしないが、つねったら絶対痛いと思う。
　ああでも夢見心地なのは事実だ。今、綾花は珪とボートに乗っている。
　散った花びらでピンク色になった美しい川に揺られ、ゆっくり流れる光景に目を愉しませた。
　けれども実際のところ、綾花に景色を満喫する余裕はあまりないのだった。狭いボートに珪とふたりきり、そんな現在のシチュエーションを思うだけで、無闇にどきどきしてしまうのだから。
　彼女の緊張を見抜いたのだろうか、それまでオールを握っていた珪は手を離した。
「せっかくだし、綾辻さん、漕いでみる？
　そうして、
「そうそう、ぐっとリズミカルに、左右の手に均等に力を入れて」
「こう……ですか、まっすぐ進むのもコツがいりますね」
「うん、綾辻さんはなかなか上手だね」
　川の涼しい風を受けてオールを動かしているうち、綾花は詰まらずに彼と話せるようになっていった。
「そうだ珪先生、後で先生と桜の写真、スマホで撮らせてもらっていいですか？」
「いいけど、僕の写真なんて撮ってどうするの？」
「記念……です。そう、桜が満開の日の記念、入学式や始業式まで咲いてないかもしれないし」
　ははは、となぜか珪は笑い出した。
「変ですか？」
「いや変とは思わないよ。綾辻さんの発想が……なんというか、可愛くてね」
　このとき、ボートが中州の岩にぶつかりそうになりぐらりと傾いだ。
「きゃっ！　す、すいません！」
　先生が妙なことを言うから――綾花は頬が赤くなるのを覚える。
　オールのコントロールが狂ってしまった。