ねこ温泉郷の三日間｜リアクション

ねこ温泉郷の三日間

　白く濁った温泉からはとめどもなく湯気が立っている。
　宿泊用の人間用宿舎に入り、真央がまず向かったのは池ほどの大きさもあると噂の露天温泉だった。
　身支度を済ませ、いそいそと外に続く引き戸をくぐってみれば、どこからか流れ込む桜の花びらがひらひらと舞う、湯煙流れる大露天風呂。
「うおお、なのだ」
　端まで行くには歩いても泳いでも随分かかりそうな岩風呂のぐるりを囲うは、樹全体を紅く染め上げるほどに咲き誇る椿花。
「広いよねぇ」
　おっとりとした声を聞いて湯気に目を凝らせば、湯船の縁のあたり、黒々と濡れた岩に白い背と肩を預け、紅茶色した髪を緩く結い上げた由貴奈の姿が見えた。
「いいお湯だよぉ」
　ふうわりとした由貴奈の声に誘われ、真央はとどまることなく湧き出す湯で満遍なく温かな石畳を裸足で踏んで湯船に近づく。
　簡易的な低く薄い竹垣に遮られた男湯からは誰が入っているともいないとも分からないくらいの水音がしているけれど、そんなことは今はどうでもいい。
　黄昏の色を映して柔らかな茜雲の色した温泉に爪先をそろりとつける。
「おお……」
　昼間の暖かさとはうって変わって冷たい春の夕暮れに冷えた爪先が熱い湯に触れて、じん、と痺れる。それにも構わずざぶざぶと広い湯船に腿まで進み入り、湯煙に隠れるように足を折って肩までつかる。
「ふぁぁぁ……」
　膝を伸ばして座れば、思わず溶けそうな息がこぼれた。ちょっとばかり熱いけれど、
「いい感じなのだ～」
　黄昏空に舞う桜吹雪を眺め、翡翠の瞳を細める。もうこのまま、茹る寸前までのんびり浸かっていよう。
「いい感じですかー？」
「いい感じなのだー！」
　湯船の手前にある洗い場から聞こえた智瑜の声に、真央は屈託のない声で応じる。
「はいる、今すぐはいる」
「その前に体を流して髪を洗いましょうね」
　駄々をこねているのは主催者のひとりである小さな女の子、こんなのだろう。ふわふわと漂う湯気の向こうを透かして見れば、木製の風呂椅子にちょこんと座った幼児の後ろに膝をつき、智瑜が頭を洗ってやっている。
「かゆいところはないですかー？」
「ないー」
　智瑜の言葉にくすくすと笑う幼女の丸い尻から狐のような銀色の尻尾が見えた気がして、真央は両掌でごしごしと目を擦った。
「しっぽなのだ……？」
「ん？　あ、ほんとだねぇ、しっぽだねぇ」
　湯船の縁に背を預けてうつらうつらしていたらしい由貴奈が眠たげな眼をぱちぱちとさせる。
　ふたりがきょとんと瞬く間に銀色尻尾は幻のように消え、代わりに現れたのは、真っ白な尻尾をゆらゆらと揺らす小さな白猫。
「お猫さまなのだ！」
　さすがねこ温泉、と歓声を上げる真央に、白猫をつれて温泉に入ってきた美咲紀は黒い瞳を笑みに細めた。
「真央ちゃん」
「美咲紀ちゃん」
　広々とした湯船で気持ちよさそうに体を伸ばす真央と手を振り合い、美咲紀は自分も温泉を楽しむべく、まずは愛猫スノウと自分の体を洗う。
　以前ねこ温泉郷を訪れたとき、一緒に過ごした八神家の猫たちにお風呂の気持ちよさを教えてもらってからというもの、子猫のスノウはすっかり風呂好きにゃんことなっている。体を洗われることにはほんの少し嫌な顔はするものの、泡を流すお湯の温かさには目を細めてくれる。
「あったかいですもんね」
　機嫌よく喉を鳴らす愛猫の様子につられて笑い、美咲紀はスノウを胸に抱えて湯船に踏み入った。
　とろりとしたお湯は、肌をとても潤わせスベスベにしてくれる。スノウの肉球もつるつるぷにぷにになる。
「うふふ」
　にゃう、と気持ちよさそうな声を零すスノウと笑いあい、続いて入ってきた智瑜やこん、真央とも穏やかな笑みを交わし合う。
　猫もひとも、みんな一緒にほこほこに温まって、
(とっても幸せなのです)