キョンシーにご用心｜リアクション

キョンシーにご用心

【満月の夜に】

　桐生計都は、宿題を終わらせると、自室の窓から外を見上げた。
「今夜は月がきれいなんだね。外に出たいけれど、どうしようかな」
　とりあえず風呂へ行こうと、部屋を出た計都は、何気なく洗面台の鏡に映る自分の姿に目を向けた。
　穏やかだった彼の瞳に、剣呑な光が宿る。
「……やっと出られたぜ。今夜は満月か」
　喉を震わせてひっそりと笑う彼は、『ラゴ』。
　計都のろっこん『ウラガワノボク』が発動した場合にのみ姿を現す、裏人格だ。

「さてと」
　肩をほぐすように腕を回し、彼は自宅の玄関に向かう。
「――ちょっとそこまで行ってくるね」
　計都の口調を真似て、家族に一声かけた彼は、清々しい気分で外の空気を吸った。
「確かに今夜の月は見応えがありそうだな。月見でもするか」
　計都の記憶を有しているラゴは、どうせ見るなら静かな高台がいいだろうと、桜台墓地の方へと足を向ける。
　迷いの見られない彼の足取りは軽い。

　しかし彼が桜台にさしかかった時点で、前方で飛び跳ねて進むうつろな眼差しの人物が、民家の塀を削るのを見てしまった。
「何だあれは。堂々と器物破損してんじゃねえよ」
　舌打ちをするラゴに向かって、人物は近づいてくる。
「オレの限られた時間を乱したからには、……覚悟できてんだろうな」
　口元をゆがめて拳を握るラゴの背中に、涼やかな声がかけられる。

「そなた、いったん下がるといい」
　同じ高校の制服を着用した小柄な人物、夏神零が、手に札を構えて立っている。
「あれは桜台墓地に眠っておったキョンシーであろう。触れればそなたも同類と化すぞ」
「……キョンシーだと？　ふざけてんのか」
「見るがよい」
　零は、札を口にくわえると、彼のろっこん『朱雀之舞・翼刃』を発動させた。
　するどい手刀が宙を舞い、離れたところにいるはずのキョンシーが、激しい打撃音とともにバランスを崩す。
　切断こそされなかったものの、頭部を押された形となったキョンシーは地面に倒れた。
「よし」
　起き上がるまでの隙を逃さず、駆け寄った零が、キョンシーの額に札を貼った。

「……いてて、あれ？　おかしいな、転んだのかな？」
　正気に返った男性に手を差しのべつつ、額の札を回収した零は、男性を見送り、ラゴに向き合う。
「見たであろう。拙者は夏神神社の神主をつとめておる。今宵はキョンシーが桜台近辺をさまよっておるのだ」
　ラゴは険しい表情のままだ。
　つまり、キョンシーを退治しない限り、彼の望む静かな時間は得られないというわけだ。

「なるほど……」
「……なるほどねー。キョンシーが街を騒がせていたんだねぇ」
　どことなく眠たげな声がして、振り向くとそこに笹暮真秋が立っていた。
「当たりくじ……？」
　真秋のＴシャツに記されたロゴを見て、ラゴの眉間にシワが寄る。
　零はというと、ロゴなど視界に入らないかのように平然として、真秋にうなずきかけた。
「お主らも、夜道を行くなら十分に気を配るとよかろう」

「……そのお札、僕もわけてほしいんだけど、いいかなあ」
「これか？　量産してきたところだ。構わぬが」
　零の言葉に、ラゴも身を乗り出す。
「それがあれば、邪魔者を排除できるんだな。オレも欲しい」
「あいわかった。人手はあるに越したことがないからのう」
「……ありがとね」
　零から札を受け取った真秋は、どことなく嬉しそうだ。

「拙者は、元凶である本体を狙うつもりでござる。発見し次第、のろしを上げるからのう。それまで無事での、気をつけてまいれ」
「ああ」
「……うん、僕もキョンシー退治、がんばるよ」
　札を手に、各自その場を散っていく。

　零は道をはずれ、木立の合間を抜けていった。
　元凶のキョンシーに当たるまで、雑魚にはなるべく遭遇したくない。
　そんな彼が選んだ道は、地下にあった。
　猫鳴館の床から四方に伸びる、地下帝国と呼ばれる抜け道だ。
　上手く活用すれば、キョンシーの裏をかけるかもしれないと、そう考えた。