メリーさんが座敷童、なの｜リアクション

メリーさんが座敷童、なの

　九夜山の山中、スケッチブックを小脇に抱えた三宅葉月が自由に動き回る。見つけた春の兆しを素早く画用紙に切り取り、別のところへと足を運ぶ。黒いゴシックロリータの服はひらひらと風にそよぎ、等身大のクロアゲハが飛び回る姿を想像させた。
　スケッチブックに沢山の春が収められた。葉月は長くてしなやかな髪を指先に絡める。
「濡れているわ」
　翡翠色の瞳を上に向けた。木々の合間から見える空に緋色が混じっていた。
　何かに追われるように山道を急いで下る。周囲の枯れ葉が一斉に舞い上がった。強い突風に唇が微かに震えた。
　――このままだと、風邪を引くかも……。
　不安が脳裏を掠める。表情には出さず、クロアゲハは木々が作り出した縞模様の道を飛翔した。
　弱々しい光が前方に見えてきた。導かれるように飛び込んだ先は寝子温泉であった。古めかしい店舗の中から一軒を選び出す。
　葉月は引き戸に指を掛けた。その姿で真横の幟に目がいく。
　――座敷童、何のことかしら？
　数瞬の思考を経て温かい中へと入っていった。

　フロントを経由して葉月は女湯の暖簾を潜る。静まり返った脱衣場でするりと衣服を脱いだ。白い身体が露わになった。
　生まれ変わったような姿で風呂場に足を踏み入れる。
　床は少し濡れていた。見える範囲に人はいなかった。立ち込める白い湯気が緩やかに回って見える。
　葉月はすたすたと歩いてカランに向かう。置いてあったイスに座り、頭頂にシャワーを浴びせた。間もなくして顎を上げた。瞼を閉じた状態で顔にも注ぐ。空いた手が何かを求めた。
「シャンプーの容器はここにあるの。補充したからいっぱいなの」
　葉月は掌で顔を拭った。しっかりと目を開いて声の方に振り返る。以前と同じように着物姿の女の子が立っていた。
　場所が風呂場なので反応が少し遅れた。
「……こんにちは、それともこんばんはかしら」
「いらっしゃいませなの。背中を洗ってあげるの」
「親切なのね」
「ちょっと暇とかではないの。サービスなの」
　――暇なのね。
　その一言は胸に閉まって葉月は女の子のサービスを受けた。柔らかいタオルが白い肌の上を滑る。丁寧な仕事ぶりを肌で感じた。
「あなたが座敷童なのね？」
「それっぽいことをしているメリーさんなの」
「座敷童ではないのね？」
「期間限定の座敷童なの」
　葉月はやや視線を下げる。
　――出口のない迷宮に入ってしまったようね。
　それ以上の言葉が頭に思い浮かばない。ぼんやりとしている間に背中にシャワーを掛けられた。
「終わったの。頭はどうするの。シャカシャカするの」
「私の髪は長いから自分で洗うわ」
「わかったの。おかっぱではわからない苦労があるの」
　水滴の音がやけに耳に響く。振り返ると女の子の姿はなかった。
　葉月は自らの手で髪を洗い始めた。
「男湯のシャンプーが切れたの」
「リンスも少ないの」
「ちびた石鹸を新しくするの」
　髪を洗っていると、女の子の声が方々から聞こえてきた。
　――今はゆっくりできそうにないから、宿泊して朝風呂を楽しんだ方がいいかも。
　そんなことを思いながら髪にシャワーを浴びせた。