メリーさんが座敷童、なの｜リアクション

メリーさんが座敷童、なの

　黒いロングコートを着た朝鳥さゆるが街中を歩いていた。混雑した通りは人の流れが悪かった。車道では渋滞が起きて、けたたましいクラクションが鳴らされる。
　不快な音が濁流となって混ざり合う。そこに鐘のような音が聞こえた。
　さゆるは即座に反応した。両耳を掌で押さえた姿で脇道へと逃げ込んだ。薄暗がりを抜けて、尚も足を速める。
　――地上はろくでもないことが多すぎる。
　目の前に九夜山が迫る。さゆるはブーツを履いたまま、砂利の転がる山道に踏み入った。
　すぐに息が上がる。耳に煩い。どこか納得した表情を浮かべていた。
　――これでいいわ。鐘の音も聞こえない。
　額に汗が滲む。コートの前を開けた。古い建物が見えてきた。
　前傾の姿勢が元に戻る。気軽な散策の態で歩を進めた。
　その時、はためく幟が目に付いた。妙な売り文句に足が止まる。
『座敷童が出没する旅館』
　顔を近づけた。目がゆっくりと上下する。
　――妖怪が売りになるの？　ま、島全体がお化け屋敷みたいな感じで、あたしだってもれいびなんだから似たようなものだけど。
　楽な姿勢となって旅館に向き合う。何とはなしに引き戸を開けた。一歩、踏み出すと女の子がぺこりと頭を下げた。
「ようこそ、いらっしゃいましたの」
　直立の姿勢となって、さゆるの顔を見た。乏しい表情でポンと掌に小さな拳を打ち付けた。
「禁断の恋に疲れたOLが鄙びた温泉旅館で、命の洗濯の一泊を希望しているの」
「そんな風に見える？」
「そんな風にしか見えないの」
「そう、そうね」
　ふっと笑って状況に流された。
　さゆるは宛がわれた和室で独り、ぼんやりと庭園を眺める。
　目の端に折り畳まれた浴衣が見えた。何かを思い出したかのようにふらりと立ち上がる。片腕に浴衣とタオルを引っ掛けて部屋を出ていった。

　脱衣場で衣服を脱いだ。だらりと下げた手にタオルを握って風呂場に入る。誰もいなかった。
　――これならゆっくりと湯船に浸かっていられるわね。
「どうぞ、なの」
　横手から声が聞こえた。着物姿の女の子が腰掛けるイスを勧める。
「これもサービスの内なのかしら？」
「ちょっと暇なの」
　ぽんぽんとイスを叩く。さゆるは口を開き掛けて閉じた。勧められたイスに腰掛ける。
「これがシャンプーなの。こっちはリンスなの」
「そう、ありがとう」
「お湯を調節するの」
　シャワーの温度を掌で確かめる。はいなの、とさゆるに手渡した。足先に湯を掛けてから肩に浴びせる。
　女の子は横にいて行動を見ている。さゆるは横目で窺った。
　――思考が読めないわ。本能のままに動いて、何も考えていないのかもね。
　口元に微かな笑みを貼り付けてさゆるは頭を洗い始めた。
「背中を洗ってあげるの」
　タオルを泡立てた女の子がさゆるの背中を擦る。
　――強くはない。でも、弱くもないわ。小さな手がくすぐったいけど、気持ちが解れる。不思議な感じね。
　頭と身体を同時に洗い終えた。さゆるはタオル張りの風呂に入る。前では女の子が容器を頻りに振っていた。
「量が少なくなったの」
　瞬間移動を駆使して全ての容器を試す。いつの間にか、詰め替え用のパックを持ち込んで継ぎ足した。
　――そういうことは客がいない時にするものよ。
　心の中で諭した。さゆるは肩まで浸かって、その静かなる奮闘の様子を眺めた。