ヒーローズ！外伝～消し得ぬ炎の上の日常～｜リアクション

ヒーローズ！外伝～消し得ぬ炎の上の日常～

　先の戦いの末に、七緒璃音は数日間の入院を余儀なくされた。
　しかして、その後に待っていたのは、
「う゛ー、退院したと思ったら休む間もなく『ノアの箱舟』の一件の後始末って……」
　という具合で、璃音はまだ本調子ではない身体で、嫌というほど働かされたのだった。
　そして今、璃音は泉竜次博士の研究室に避難するや、
「あ゛ー、づがれ゛だー！」
　なんて、薬品の匂いが染み付いた机に突っ伏して呻いている、という次第である。
　何やら資料のようなものを整理しながら、泉博士が呆れたように笑う。
「璃音、休憩室なら廊下を真っ直ぐ行って右だぞ」
「知ってまーす」
　泉博士は、それ以上は何も言わなかった。
　璃音が本当に疲れ切っているのを知っていて、好きにさせてくれている。
　幼い頃に『ヒーローズ・プロジェクト』に拾われた末にエージェントになった璃音は、泉博士とは縁が古い。
　腐れ縁というにはあまりに深すぎる仲だから、璃音のことなんて彼にはお見通しなのだ。
（ま、全部見通されてるってことだって、こっちもお見通しなわけだけど）
　そして更に、そのこともまた向こうに承知されていて……殆ど、無限ループである。
（で、まぁ、泉さん以外いないからこーいうことも出来るわけだ）
　机に上半身を預けたままで、足をゆらゆらとさせながら璃音はそんなことを思う。
　他の人がいたらもう少しちゃんとしている。……はずだ。
　暫くの間、紙の擦れる音だけが耳に響く、居心地のいい沈黙が続いた。
　不意に、頁を捲る音が止まる。
　璃音は、少しだけ顔を動かして、泉博士の方をそっと見遣った。
　外した眼鏡を脇に置いて、空いている方の手で頭を軽く押さえている。
　少し俯いた顔は、いつもより幾らか老けて見えた。
（あー、これは泉さんも疲れてるな、多分。普通なら絶対しない顔だ）
　璃音に見られていることに気づいていない、ということを差し引いても、らしくない。
　時にはその行動力で璃音をハラハラさせるほど、殆ど常にエネルギッシュなのが泉竜次という男なのだから。
（普段はこんな素振り見せないし、見て分かるという事はつまり結構疲れてるってことよな）
　『ノアの箱舟』の件で忙しかったのはどのエージェントも同じか、と、璃音は胸の内に頷いた。
　璃音の目もまた、長い付き合いの末、泉博士のことを見通すのに長けている。
（とはいえ、ストレートに心配したところではぐらかされそうだし……）
　加えて、そういうのは自分のキャラじゃない、とも思うわけで。
「――よし！」
　と、璃音はがばと顔を上げた。泉博士が、少し驚いたような顔になる。
「泉さん、それ終わったら飯食い行きましょーよー」
「飯か……そういえば、俺も暫く食ってないな」
「じゃ、決定で！　ねー、何か奢って下さいよー」
　じゃなきゃ過労死するー、と、喚く璃音。
　一緒に出掛けることが気晴らしになればいい、なんて。
　そんなことを考えているのが、そしてそれさえも彼の目は見抜くのだろうということが気恥ずかしくて。
　勿論、奢りは大歓迎なのだけれど、それはそれ。
「……全く、仕方がないな。少しは遠慮しろよ、璃音」
　璃音の言い分を受けて、泉博士はくしゃりと笑った。
　いつもの、子供のような笑い方に、つい、ほっとする。
（いや、腹減ってるから、どっかで食べてこようとは思ってたし）
　自分の心に自分で言い訳をして、じゃあ終わったら起こして下さいとまた顔を伏せる璃音。
　平和な時間が頭の上をのんびりと流れていく、そんな、ひと時。