夏の寝子島｜リアクション

夏の寝子島

　旧市街にある鶏肉専門店「贄田商店」では朝の仕込みに追われていた。暑さのせいなのか。焼き鳥の需要が急激に伸びた。早朝から予約の電話が殺到して手が回らなくなり、長女の贄田鵙子も駆り出された。
「朝は低血圧なのに」
　不機嫌な顔で鶏肉を串に刺していく。鋭い眼光を周囲に放ちつつ、的確に肉を串刺しにした。調理場の空気が体感で二度ほど下がる。父親は宥めるような顔で笑った。
　鵙子は手を止めずに鼻で笑った。
　――暑いといっても、やることは変わらないのよね。ようは肉に串を刺せばいいのよ。
　　それにしても電話が多いわね。今日は焼き鳥の日なのかしら。別にいいわよ。こちらは商売で貰うものさえ貰えれば。
　日曜日の朝でも喜んで肉に串をブッ刺してやるわ。大人達はビール片手に陽気に焼き鳥を食べればいいのよ。こちらも肉を刺して、ブッ刺して、刺しまくってやるわ。
　鶏肉を掴み損ねた。山盛りのトレイは平らになっていた。
「早いわね」
　軽く息を吐いて作業に戻っていった。

　部屋では贄田錵子が出掛ける用意をしていた。夏のような暑さで選んだ服は長袖のトレーナーに長ズボンであった。
「気持ちいい暑さです」
　長い黒髪を一つ結びにして目を輝かせる。部屋を出る直前に柱の角に足の小指をぶつけた。痛そうな顔は一瞬で笑顔となった。
「痛いエピソードが増えましたね」
　目の中の星を煌めかせて散歩に出掛けた。
　青い空に白い入道雲が鮮やかに見える。
「本当に夏みたいです」
　陽気に歩いている最中、笑って首を傾げた。
　――そうでした。この天気でつい散歩を始めましたが、家の手伝いをすっかり忘れていました。
　まあ、お姉ちゃんがいるから大丈夫でしょう。携帯電話で呼び出されてもいませんし、自慢ではありませんが私は焼き鳥を作るのが苦手です。
　串で鶏肉を刺していると、自分の指がとても気になって、こう、刺してみたくなるんですよね。
　立てた人差し指の腹を別の指で突っつく。
「忘れて正解でした」
　堂々と言い切った。腕を大きく振って散歩を再開した。
　目が一点に向かう。民家の塀に止まっているセミを見つけた。そろそろと近づいてセミを摘まんだ。途端に大きな声で鳴き始める。
「元気ですね」
　摘まんだセミの裏側に目を注ぐ。長細い針のような口に注目した。
　――鋭い口ですね。もしかして人を刺したりするのでしょうか。
　せっかくですし、試してみましょう。
　錵子は捕まえたセミを自身の手の甲に近づける。口角が上がって満面の笑顔を浮かべた。
　その時、後頭部に鈍い衝撃を受けた。セミは緩んだ指から逃げ出し、大きく左右に揺れて飛んでいった。
「錵子、何してるのよ」
「あ、お姉ちゃん。ご無沙汰しています」
「昨晩、家で一緒に夕飯を食べたよね？　それでセミをどうしようとしてたのよ」
　鵙子は黒い帽子の鍔を人差し指で上げた。大きめのＴシャツを着て肩口からは黒いタンクトップが覗いていた。下は七分丈のパンツルック。竹細工のようなパンプスを履いていた。
「セミの口が鋭くて。肌に押し付けたら、突き刺したり、痛っ」
　無言で鵙子の手刀が頭に落ちてきた。錵子は頭を摩りながら、愛が痛い、と嬉しそうに言った。
「愛が痛いというよりも、痛い子に見えるわよ」
「痛い子に見えても、実際には痛くないので一緒に散歩をしましょう！」
「どうして、そうなるのよ」
　鵙子の文句を錵子は背中で聞いた。腕を振って気ままに歩く。
「本当に手が掛かるわね」
　鵙子は微かな笑みで後に付いていった。

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