九夜山で猫まみれ！｜リアクション

九夜山で猫まみれ！

　朝鳥さゆるはシーサイドタウンを気ままに歩く。赤いダウンジャケットに黒いジーンズを穿いていた。カジュアルな一面を見せつつ、その眼差しは吹き曝しの雪原のように冷え切っている。幾人かの男性が声を掛けようとして諦めた。
　さゆるが求めるものは街中になかったのか。急に進路を変えた。人々に背を向けて北へと足を速めた。
　九夜山の轍に分け入り、さゆるは黙々と登った。ブーツのせいで思うようには進まない。足を取られ、辛うじて体勢を立て直す。
　少し息が上がってきた。表情が険しくなる。
　開けた場所に出た。瓦礫の向こうに白い蔦薔薇に覆われた教会が悄然と佇む。弱々しい陽光を浴びて厳かな印象を与えた。
　さゆるは足元を気にしながら教会の中に踏み入った。
　誰もいない。神に見放されたかのように空間を静寂が支配していた。中央の天使像は失意の表情で立ち尽くす。
　さゆるは静けさに埋没した。その場で瞳を伏せて佇む。
　睫毛の先が震えた。下の方から、にゃあ、と場違いな声がする。足元に目をやると二匹の猫がブーツに頬を擦り付けていた。
　しゃがみ込もうとした矢先に音がした。周囲を見ると猫がいた。数え切れない数がさゆるを取り囲んで尻尾を揺らしている。
　さすがに驚きを隠せない。さゆるは身体を捻って外を見た。瞬間、砂利を踏んだような音がした。
　それが合図となった。猫が一斉に走り出し、飛び掛かる。さゆるは声を上げる間もなく倒された。
「どうなってるのよ」
　仰向けのさゆるに無数の猫が身体を摺り寄せてきた。甘えたような鳴き声に辺りは満たされた。
「ごはんちょうだい」
　その声はさゆるの胸の上から聞こえてきた。見ると一匹のキジトラ柄の猫がちょこんと座っていた。
「今の声は」
「ごはんちょうだい」
　さゆるの目の前で猫は平然と喋った。疑う余地はない。二度目の驚きは苦笑いへと変わった。仕方がないという顔で自由の利く右手をポケットに入れてみる。
「ガムしかないわ」
「あたたかいごはんをちょうだい」
　猫はさゆるの顎先に顔を近づけて尻尾を振る。次の言葉を待っているようだった。
　溜息を吐いた。床に右肘を突いて身体を捻るようにして起き上がる。胸元にいた猫はずり下がり、太腿の上に落ち着いた。顔を上に向けて、ごはん、と潤んだ目で言った。
「ここでは無理だから、山を下りることになるけど、それでもいいのかしら？」
「それでもいいから、ごはんちょうだい」
　猫を胸に抱えた状態でさゆるは立ち上がる。
「歩く隙間がないんだけど」
　さゆるは猫が犇めく中から片方の足を引き抜いた。怖々とした一歩を下ろすと猫が器用に避けた。次の一歩も同じであった。繰り返すことでようやく教会の外に出ることができた。
　猫達を引き連れてさゆるは歩く。一定の距離までくると、猫達は途端に興味を失ったかのように戻っていった。
　横目で見たさゆるは安堵して、胸に抱えた猫に問い掛ける。
「街では喋らないでね」
「おいしいごはんのためならしゃべらない」
　滑らかに喋る猫にさゆるは微かに笑って山を下りていった。

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