オープンスクール　〜みんなで寝子島中学校へ行こう〜｜リアクション

オープンスクール　〜みんなで寝子島中学校へ行こう〜

　３年１組は英語の授業中だ。
　実は英語が苦手な衿花にとって、この時間割は酷なものだったが、彼女は健闘している。彼女の母親が参観にきているのだ。
　普段から着ている和装が保護者の中でも目立って見える——と言うより母が教室にいるのが嬉しい衿花がついついそちらに目をやってしまっているのだが。

　今は英語担当の教師によって教科書の問題文が幾つかあげられたところだ。
「——それではこの文を……」
　教師は教室をぐるりとなめたが、ニコッと笑って考え直した。盛り上げ上手だ。
「我こそは！　ハイ誰！？」
　生徒たちからまばらに手が挙がり始めた。衿花も負けじと挙手する。
　腕が綺麗に伸びていたお陰だろうか「それじゃあ１番を貴家さん、と、２番は——」衿花が当てられた。

　１番の問題文は『私は一度もこんな大きな犬を見たことがない』である。
（ええと、これを英語に……。『私は』『一度も』『見たことがない』は——）
　衿花は授業内容を思い出しながら、黒板に“I have never seen ”と書き込んで行く。そこから“such a”と続けて、衿花の頭に悶々と浮かんでいたのは、ミルクホールの看板犬のお座り姿だ。
（“big dog”。大きい犬って言ったらポンチク君ね）
　犬を想像すると、緊張も緩んだ。完成した文を一度確認して、衿花は自分の席へ戻っていく。
　ふと顔を上げた時、母親と目があった。
（お母さん！）
　優しげな顔に柔らかい笑みを浮かべた母に、つい嬉しさがこみ上げて片手を挙げかけた。母親にべったりないつも通りの空気が出そうになったものの——。
　衿花はギリギリで踏みとどまって、胸のところまできていた手をそそくさと後ろにしまう。
（いけない、ここは学校だからそんな気のゆるんだ所は見せられないわ！）
　意地っ張りが出た瞬間、衿花は近くの席からの視線に気がついた。泉が衿花が一瞬緩めた表情と挙げかけた片手に気がついていたらしい。基本的に英語の授業では暇をしているから他の生徒に目が行ったのだろう。
　衿花は恥ずかしくなって、ツンと鼻先をあげたのだが、それこそが面白かったようで、彼はかくっと首を下に笑いを堪えてしまった。
（やっちゃったわ——！）
　眼鏡のツルを挟んだ指がぷるぷる震えてしまう。しかし横を見ると、自分よりもっと窮地に陥っている生徒を発見した。
「凄いね」「イリヤ君のとこだって」と聞こえてきたクラスメイトの声で衿花も察した。
　保護者たちの中にずらりと並んだ高校生。誉から口パクの「ガンバレ！」を、陽毬はピースサインを送り、紅緒はハードカバーのネタ帳を開いて何かを猛然と書き込んでいる。英二は「イリヤ君、頑張ってますよ！」と彼の兄たちに小声で話しかけ、兄たちは兄たちで一人息子を見守るような目だ。更には彼の叔母も駆けつけて、高校生たちが「どうしたんですか？」と軽くざわめいている。
　イリヤ本人も予想外の叔母の登場にテンションが上がり、それこそ手を完全に振ってしまった為、衿花が危惧した状況に陥ったようだ。
　教室中から微笑ましいものを見る目と笑い声を浴びせられ、席についたイリヤは頭を抱えている。
　彼には申し訳ないが、自分にとっては幸いだったかもしれないと、衿花はいつもの澄ました態度で席についた。