『マドカの部屋』

るーららー　るらら　らーららー　ららる　らーららーらーらー


　流れ出す、きっと誰もが知ってるあのメロディ。
　清潔そうな白いセット。滑らかな陶器に生けられた大輪の花々。壁には流れるように裾を広げるドレスを着た女性の絵画がかけられ、大きな格子窓の向こうは青空いっぱいの爽やかな田園風景。



都市伝説は、その知名度が自らの力となる───
君は知っているか？　深夜にラジオへ紛れ込む声という、小さな都市伝説を
『みえっぱりラジオ』を


　カメラがずずいとパンして、映り込むのはソファーへ並んで腰かけた、幾人かの出演者たち。
　その中に、コーナーのＭＣを務める彼女。子猫を肩に乗せて微笑む、緑色の髪の少女がいました。



彼は、自身の消えゆく噂を危惧し、運命に立ち向かう
思考錯誤の末、奇怪な深夜番組『ミッドナイト・フリーキー・ショウ！』を操る力を得た
出演者を無作為に呼び出し、様々な番組に、様々な概念に立ち向かわせた……

けれど、決して彼に害意はない
全ては視聴者を、出演者たちを楽しませるため

みえっぱりラジオ　新出府 譲　ジョニー
その名を覚えておけば、彼はきっと、あなたに微笑むだろう───


「というわけで、マドカの部屋へようこそ！
今日はボクが、そんなジョニーさんの素顔に迫っちゃうよー！」
　にっこり、にこにこ。愛猫にゃーくんも張り切って、にゃおーん！
　桜庭 円のできる、これが最大の贈り物。彼の存在を許容し、共存を望んだ彼女は、番組を通じて直接、彼について発信することを思いついたのでした。
「ではさっそく、本日のゲストをご紹介します！　『ＭＦＳ！』のディレクターにしてプロデューサー、新出府 譲ことジョニーさーん！」
「やあ、ハロー！　どうも。まぁ紹介する素顔が無いんだけどね、俺の場合」
　椅子にふんぞり返って足を組んだ彼は、顔の無い顔で笑いながら、カメラマン役の黒猫たちの瞳へひらひらと手を振りました。
　円が手のひらを掲げると、ずずいと画面は再び移動して、
「今日は他にも何人か、コメンテーターの方々にお越しいただいてまーす。この方たちでーす」
「うす」
「どーも！」
「ん……こんにちは」
「よ、よろしく、お願いします……」
　長椅子に座っているのは如月 庚、屋敷野 梢、恵御納 夏朝、勅使河原 悠。それぞれに小さくうなずいたり、元気よく手を上げたり恐縮したりしつつ、ゲストへ質問をぶつける役柄というそんな席へと、神妙に収まっています。
　画面は再度、円と新出府へ。
「それじゃさっそく、ジョニーさんにお話聞いちゃおう！　いかがでしたかー今回の番組の手応えは？」
「いや、控えめに言ってこりゃ、大成功ってことで良いんじゃないか？　俺は大いに楽しめたし、視聴者のみんなも楽しんでくれただろうさ。あとはお前さんたちが、最後の番組を楽しんでくれてりゃ最高だがね」
「うんうん！　きっとみんな楽しんでたんじゃないかなー。ボクも歌って踊って、面白かったしね」
　円の言葉に、意外にも舞台経験豊富なにゃーくんが、胸を張ってなおうとひと声。
「今回は特に、秘子さんの動向について、みんなが注目してましたねー。そのあたりについては？」
「あー……うん。そうだな。あの子のことは、あー。ええと」
　珍しく、そんな風に言葉を濁した新出府へ。
　円は、問いかけます。彼女の導き出した答え、その核心を。
「今回のお祭りってさ。もしかして大部分は、秘子ちゃんのため？」
「…………それは」
「私も……考えていたんです」
　いつもは控えめな悠も、この場にあっては、口を開かずにはいられませんでした。
　尋ねずにはいられませんでした。ずうっと、考えてきたのです。
　深夜番組、『ミッドナイト・フリーキー・ショウ！』とは一体、何であったのか？

「胡乱路先輩を、見守るうち……あなたの中には、いつしか……父性のようなものが、芽生えたのでは、ないですか……？」

　しばし。新出府は言葉を発せず、ただじっと、悠を見つめ返し。円へ向き直り。
　カメラや視聴者の存在も忘れ、天を仰いで、考え事に耽っているように見えました。



　画面はそこで、ぱっ。唐突に移り変わり、映り込むのは灰色の部屋、円卓をぐるりと囲んで席に着く、三人の眼鏡の男たち。
　そのうちふたりは、見守る呉井 陽太と志波 武道であり、そしてもうひとりは、
「志波さん。呉井さん。付き合ってもらって、ありがとうございます……どうしても、やっておきたいことなんです」
　満を持してその姿を見せた、芽守 健作。彼でした。
　大きな円卓にずらり、ずらずらと並べられているのは、数百枚にも上る、切り離したメモ帳のページたち。その数は膨大でありながら、一枚一枚には遠目に紙が真っ黒に見えるほどびっしりと文字が書き込まれていて、それらはいずれも健作が手ずから記してきた、『ＭＦＳ！』についての覚え書きです。もちろん今夜の番組が放送されている間も、彼は休むことなくメモを取り続けていました。
　陽太は、丹念に書き込まれたメモたちを感慨深げに眺めて、
「こんなにあったんだねぃ……色んなきっかけを残してくれた番組だったし、記録は残しておきたいですね」
「そうダヨネ☆　こいつももちろんあるゼィ！」
　かたん、と武道が中央に置いたのは、スティック状のＵＳＢメモリ。以前に新出府から渡されたものであり、その中には彼なりに選んだ音声情報が記録されていました。
「これほどの数を扱うのは初めてですが……では、いきます」
　健作がそう言うと、なぜだか三人は同時に、ついと眼鏡を中指で押し上げて。

「…………推理開始！！」
　瞬間、ゆらり。ゆらゆらと、ろっこんが浮かび上がらせていく文字たち。
　見覚えのある単語が無数に、円卓から浮上しては部屋中を乱舞し、やがてそれらは眼前へと寄り集まって、いくつかの文脈へと形を成していきます。
「……このＵＳＢメモリを渡す時、彼は言いましたね」
　眼鏡の奥に瞳を細めながら、健作は静かに、メモたちの導き出す帰結を語ります。
「『俺みたいな存在であっても、何かを世界に残せるような気がしてね』……と」
　都市伝説。人の噂によって成り立つ、曖昧な存在に過ぎない彼が、この世にあって自身を定義するため、何を望んだのか。
「テレビ番組などと、これほどに派手で、騒々しい手段を選んだのは……きっと彼の、性分。いえ、本質なのでしょう。その上で……」
「ああ……俺も何となく、そんな気がしてたんです」
　武道も、それにうなずいた陽太もまた、とうに悟っていたのかもしれません。
「もしかして、最初から俺たちが勝つ可能性も想定して、勝負をかけてきたんじゃないかって」
「うん、気のせいじゃないと思うよぅ。譲さんはみんなを信じてるから、あえて出演者たちが輝けるような、こんな舞台を用意したんじゃないかな……」
　思い返すと、彼の仕掛ける番組はいつだって、出演者自身にスポットを当ててきました。彼らの過去を引き出し興味を誘い、時に凄惨でグロテスクな映像も見せながら、時には彼らへ目を見張るような見せ場を提供し、今回などは武道や陽太を始め、過去の傷や痛みを乗り越えるためのきっかけ、そんな演出まで盛り込まれていたのです。
「最初はもちろん、自分自身のためだったのでしょう。都市伝説としての彼自身が消滅を回避するため、派手に人目を惹き付ける方法を模索した結果が、『ＭＦＳ！』だったのでしょう……しかし、彼の生存欲求はいつしか、別の願いへと変化していった。結局のところ、番組の成功、失敗は恐らく、どちらでも構わない……構わなかった、と言うべきでしょうか？　天秤は既に、大きく傾いている。戻りようもないほどに」
　健作は、一枚のメモを取り上げます。目の前の空中にもまた、同じ文字が浮かんでいました。
　周囲に、いくつも、いくつも。その名前は、繰り返し彼のメモに登場するのです。
「互いの生き残りをかけた、ラジオを通じての奇妙な共存関係。単なる手段のひとつであったはずのそれが、それこそが、彼にとって代えがたいものへと変わっていった」
　ひょい、と卓の上へ飛び乗ってきた、黒猫一匹。健作は、そのカメラ・アイへと。

「全ては、胡乱路 秘子さん……ただ、彼女のために」



　ぽりぽりと所在なく、新出府は顔の無い顔の鼻先をかくフリをして、
「いや、ま、どうにもね。照れッくさいもんだ。改まってそんな風に言われるとさ……」
「提案だ」
　腕組み。どこか尊大に見えて、けれど真剣な眼差しで彼を見据えて、庚はそう切り出しました。
「アンタらにもやりてぇことがあるのは分かるが、『このままのＭＦＳ！』を続けさせるわけにもいかん……というわけで、リクエストさせてもらおう」
「そりゃまた。聞こうか、何だい？」
「都市伝説としちゃ、もうずいぶん知れ渡っただろう。だから今度は……俺らもれいびと、異変を追ってみねぇか」
　庚は、考えました。自分と、彼らの関係を。
　番組の中ではずいぶんと、痛い目も見たものです。思うところはいくつもありました。けれどその裏で、庚は番組にまつわる謎を、仲間たちとともに追いかけてきました。
「この番組以外にも、異変の類はごまんとある。そして俺たちは、それを解決していかなきゃならん。つまり……」
　これが、そこから導き出した答えであるのだと。最善であるのだと、彼は自負します。
「アンタらふたりに、『島の異変を番組にして、俺たちに中継してもらいたい』。俺らにとっちゃ、情報源が増えるのに越したことはねぇ。カメラ猫もいるしな」
　確かに、今や島へ無数に存在する黒猫たち、レンズ・キャッツのカメラ・アイは、扱い方次第で庚たちがもはや日常的に出くわす異変の数々を映し出すのに、これほどありがたいものも無いでしょう。
「それにあの胡乱路先輩だって、マジに歌手だのアイドルだのやるなら、もうチョイ見聞を広げる必要があるんじゃねぇか？　良い経験になるだろうがよ」
　夏朝もまた、そこへと言葉を重ねます。
「『ＭＦＣ！』とか、どうかな……？」
「ミッドナイト・フリーキー……Ｃってのは何だい」
「えっと……Ｃの意味は、お任せ！　『Ｄ.Ｆ.Ｒ.』は確か、『入れ替わりの日』を迎えた人が、一日ずつ担当してるんだったよね……？　その要領で、フツウの裏にあるＦＯ、フリーキー・オブジェクトを確保して、保管・管理するんだ。そうすれば、フツウや、フツウを守るみんなとも、共存できるかも……！」
「おう、それも悪くねぇ。方法はアンタに任せる」
　庚も夏朝へうなずいて、
「だから、作れよ。時々でいいさ。また、くっだらねぇ番組をよ……」
　そう。方法なんて、何だって良いのかもしれません。あるいは彼へと、何らかの道を示すことができるのなら。
「……フツウを壊さずに、生きる道。僕たちと、みんなと、模索しようよ……ね、新出府『さん』？」
　新出府は彼らの提案へ静かに耳を傾けて、興味深く聞き入りながら。腰かけた椅子へ、少しばかり深く、背をもたれて。
「…………ああ。そうだろうな。そんなのは、きっと……とんでもなく、楽しいだろうなぁ……」
　すう、と。
　彼に変化が現れ始めたのは、その時のことでした。
「っ！？　ジョニーさん！！」
「新出府さん、身体……透けて……！？」
　悲鳴のような円と梢の声が、重なります。
　するりと。徐々に、透き通っていきます。彼の身体が。
　彼は番組に、厳然たるルールを設定しました。全てを思いどおりに仕立てるのではなく、出演者とともに、一緒になって作り上げていくこと。予定調和ではないエンターテインメント性を持たせて視聴者を楽しませる、そのためにこそルールは数値化され、常に掲げられていたのです。



【48% vs 52%】


「……ッ、認めませんよ、そんなエンディング！！　私は……！！」
　梢は立ち上がり、叫びます。自らの想いを。
　彼女がこれまで拒まず出演を続けてきたのは、何も彼らや番組を叩き潰すためではありません。
　応えるためです。
「私のフツウには、『ストーリーテラー』はもちろん……『いけ好かないプロデューサー』だって、含まれてるんですから……」
　痛い思いもたくさんしたし、ひどい目にもあったし。けれど梢は、断言します。
　楽しかった。そう……楽しかったのです。番組は。彼らとの、奇妙で奇怪で、愉快なやり取りは、この上なく。
「終わりは、必要かもしれません。必ず終わりはあるものかもしれません。でも……最後に、『つづく』の文字が出るって……私は、信じていたいんです！　だから！！」
「……それでも……消えてしまうんですか？　あなたは……！」
　もう半ば以上に透き通り、腰かけたソファへ溶けてしまいそうな彼へ、悠は息を呑みながらも、震える唇で尋ねます。
　眉を寄せた夏朝を。仏頂面の庚を、歯がみする梢を。静かにまぶたを伏せた悠を。どこか泣きそうな円を。ゆっくりと、彼は見回して。
「消えやしないさ。お前さんたちが、覚えていてくれる。俺を。そうだろう？　なあ」
　笑いました。顔は無くても、確かに、はっきりと。
　微笑みました。
「少しだけ、後戻りするだけさ。消えちまうわけじゃあない。だって俺は、番組のディレクターで、プロデューサーなんだぜ？　兼業は忙しいもんだが、ははは、すっかりね。板についてるのさ、そんな役どころが。だからずうっと、考えてるんだよ、俺は。ずうっと……ずうっと……さ」
　天井を……きっと、その向こうを見上げて。
　夜は明けて、広がるまぶしい、朝焼けにきらめく空を。
　円は、手を伸ばして、
「ジョニーさんっ！！！！」



「…………ああ……次は、どんな番組……作ってやろうかなぁ…………」


　ぽつり。
「………………ジョニー、さん」
　かすれた声と、床へこぼれた雫がひとつ。
　それっきり。
　全て、それっきりでした。

＜『ＭＦＳ！　～あるいは全ての表現者に捧ぐ、夜半過ぎのＴＶショウ』　終＞