暴走世界からこんにちは｜リアクション

暴走世界からこんにちは

【踊る文字列】

　仙藤紫は自分のろっこんについて、思索をめぐらせていた。
（私のろっこんは《指先スキャン》。目を閉じて文字を指でなぞることで、経年劣化で判読不能になった文字さえも読み取る能力）
　紫も、もれいびとなってから、それなりに長く、相応に自身の能力を知悉しているという自負もある。
　だからこそ、彼女にはわからなかった。
（この能力で、いったいどうやって彼を止めろというの？）
　紫は、橘勇が高橋に多面体状の世界の外側へ放り投げられるその一部始終を見ていた。
　自分よりも遥かに戦闘向きの能力であるもれいびを一瞬で場外（リングアウト）させる相手に、いったいどう立ち向かえばいい？
（今は考えるよりも身体を動かすしかないか……）
　紫は意を決するようにして、足下に転がるたくさんのレンチのうちの一つに手を伸ばす。
「え、ちょっと、あんた、まさかそいつで高橋くんに殴りかかる気じゃ……」
　近石簾がレンチを拾った紫の姿を見て、目を見開いた。
「まさか」
　紫が小さく笑って首を振る。
　そして、目を閉じ、細い指先でレンチに刻印された文字列をなぞった。
「……ッ」
　その瞬間、紫の意識の中に、レンチに関するあらゆる情報が飛び込んできた。
（Ｓ４５Ｃ、ＨＲＣ５０――焼き入れ炭素鋼？　ロックウェル硬さ５０？）
　素人には何がなんだかわからない文字列の意味が紫には瞬時に理解できる。
　いや、それだけではない。
　紫はすでに自身のろっこんが暴走を開始していることを瞬時に悟る。
　暴走したろっこんの力によって、紫にはそれらの文字列が実体化し、自分に襲い掛かってくるような幻覚に襲われたのである。
（……これは幻覚、なの？）
　紫はそれが幻覚である可能性に気づいていた。
　が、幻覚であることに気づくことと、それをただの幻覚として無視できることとは、また別の問題である。
（もしもあれが幻覚でなかったとしたら……）
　一度でもそう思ってしまったら、もう機銃掃射のように襲い掛かってくる文字列を見て見ぬふりすることなどできなくなった。
「くっ……」
　紫は地面を蹴った。
　次の瞬間にはさっきまで自分がいた場所が文字の銃弾によって、穴だらけにされていた。
　少なくとも、そのときの紫には目の前の現実はそうとしか映らなかった。
（あれを食らえば一溜まりもない。けれど、それはあの高橋くんにとっても同じことのはず……！）
　紫は咄嗟の判断で、この文字の銃弾を高橋にぶつける作戦を思いついた。
　それはＭＭＯＲＰＧなどではＭＰＫ（Monster Player Kill）と呼ばれる手法だったと紫は記憶していたが、実際に彼女がＭＭＯＲＰＧをプレイしたことはなかった。
（それでも何もしないよりはマシなはず……）
　紫は動じない性格ではあったが、それゆえに一度動揺してしまうと後をひく性質でもあった。
　それでも、彼女は懸命に打開策を模索し、それを実行に移しはじめたのであった。