【猫鳴館にて】

　綾辻 綾花は、急ぎの用事も一瞬忘れて、きょとん。
「……？　ゲームか何かでしょうか……」
　猫鳴館の庭先。急いで出かけようと玄関から駆け出したところへ……ででん！　土の上にざっくりと突き刺さっているのは、なぜだかひと振りの、剣！　でありました。
　なぜ？　どうして？　と思わずにはいられませんけれど、複雑で滑らかな波紋を描く剣の刃は、うっかりすると見入ってしまうほどに艶やかで、何とも美しくて……。
「はっ……！　こ、こうしてはいられないですっ」
　あるいはこのナゾのソードも、誰かの落とし物だったりするのかもしれません。けれど綾花には今、申し訳ないことに、それには構っていられないほど、実に切羽詰まった事情があるのでした。
（私の、指輪……！　ああ、一体どこに行っちゃったんでしょう……）
　以前に、綾花は不思議な場所への旅、不思議な出会いを体験したことがありました。
　『ねこネコ王国』！　そして、そこで出会った『猫の王さま』……指輪は彼から譲り受けた、忘れられない思い出の結晶なのです。王さまの誕生祭に、猫たちと一緒にお祝いしたり、贈り物を届けたこと。後日、再会した王さまの、ふかふかの毛皮に抱き着き堪能したこと……指輪を指にはめたなら、そっとそれを撫でたなら、すぐにも記憶は蘇って、綾花の胸を鮮やかに満たしてくれました。
　そんな大切な品を、なんてこと。綾花は、うっかり！　どこかへ置き忘れてしまったようなのです。学校へ行く時、出歩く時にはいつも、お手製の刺繍を施した可愛い袋に入れて、カバンの中へしまっておくのに……帰宅して私服に着替え、ここからのプライベートな時間は指輪を付けて過ごそうかな、と思った矢先に。
　見つからないのです……カバンをひっくり返しても、制服のポケットも全部全部探してみても、どこにも見当たらないのです！
（どこに行っちゃったんでしょう……大切なものなのに）
　綾花にとってそれは、単に思い出の品、という以上に意味のあるものです。あの猫の王さまに、もう一度。再びどこかで、会えますように……そんな願掛けまでも込められた、まさしく綾花の思いが宿る品なのです。
「どこかに落としたのなら…………警察！　警察に、誰かが届けてくれてないでしょうか」
　ふと浮かんだ希望にすがるように、さっそく最寄りの交番へと向かって、だっ！　綾花はダッシュ。
　その背中を、不思議な文様を描く美しい剣が、きらりときらめきながらに見送っておりました。



（何てことだ……あれを、よりによってあれを、失くすだなんて……！）
　しゅばばばば！　日の落ちかけてきた空を駆ける、ひとつの人影。民家の屋根の上を音もなく全力疾走するのは、サキリ・デイジーカッターです。
　彼は今、持ちうる自身の身体能力、その全てを、ある物の捜索へと費やしています。
　サキリは、誤解を恐れずに言うならば……いわゆるひとつの、刃物マニア！　であります。その大小を問わず、集めたコレクションは多岐に渡り、それでいてひとつひとつに愛情を注ぎ、いつも小振りなナイフなど身に帯びていなければ、たちどころに精神不安定になってしまう……そんな、まぁ、いささか困った偏愛の持ち主ではありました。
　とはいえモノはさておき、失くしたそれとて大切な品物であるのには、変わりありません。先日、とある出来事がきっかけでふとしたことから入手した、彼の刃物コレクションの中でも逸品のひとつに数えられるべき、
「ああ、僕の、ダマスカスブレード……！　一体、どこに行ってしまったんだ……！」
　まるで行方不明となった恋人を探し求めるかのように、焦燥に満ちた憂い顔でつぶやきまして、サキリは壁を走り屋根を飛び越え、時にはろっこんまでも持ち出して、ずばっ！　短距離テレポートを繰り返してショートカットしながら、寝子島中を所狭しと駆け巡ります。ああ愛しの彼女、その名はダマスカスブレード……ウーツ鋼のもたらす艶やかな波紋、滑らかな刃の手触り触り、ひと目見れば虜になってしまうほどの、技巧を極めし至高の一品……嗚呼！！
　といって、焦りに突き動かされるままに動きつつも、彼はまるでニンジャのごとく、人目に付かないよう影の中を走ります。何しろ物がモノでして、大っぴらに探し回るのも気が引けまして……もー、誰かが危険物として警察にでも届けてやしないかと、ヒヤヒヤするばかりなのです。
（でも、いずれはそうなってしまうだろうな……その前に、早く見つけないと！）
　しゅば、ずば！　しゅたたたたっ。闇を駆け抜け宙を飛び、人ごみはテレポートでばびゅんっと飛び越えて。寝子島中を、縦横無尽！



　そんなサキリと、綾花が不意に顔を合わせたのは、ともに身を寄せる猫鳴館へと続く道でのこと。
「……綾辻、どうしたんだ？　元気が無いな」
　どこかしょんぼり、肩を落として帰宅中らしい彼女に、サキリは自身もまた浮かない気分ではありながらも、そう声をかけました。
「ちょっと、お気に入りの物を失くしてしまって……猫の肉球の形をした指輪なんですけど、見てませんか？　警察にも届いてないし、学校まで歩いてみても、見つからなくて……」
「指輪？　いや、僕は見てないかな……大事な物なんだね」
「はい、大切なお友だちからもらった物で……それなのに、失くしてしまうなんて」
　綾花はそう言って、やっぱり、しょぼん。いつも明るい彼女らしくない、そうとうにしょぼくれた顔に、
「そうか……分かるよ、その気持ち。実は、僕も大事な物を失くしてしまって、探しているところなんだ。誰かに見つけてもらえるならまだしも、そのままどこかへ持ち去られてしまったり、と思ったら……焦ってしまうね」
「ええ、そうですよね……あ、そういえば」
　ふと、綾花が何かを思い出したように、言いました。
「あれを失くした人も、今頃、困っているかもしれませんね……」
「あれ？」
「多分、お芝居の小道具か何かだと思うんですけど。猫鳴館の庭先に、綺麗な剣が刺さってるんです。寮のみんなに聞くか、警察に届けたほうが良いかな……？」
「！！」
　聞くなりサキリは、自分が自分で思う以上に、うっかりしていたらしいことに気付きました。綺麗な剣！　それこそ、サキリの探し求めていた……そんなにも近くにあったとは気付かないまま、どれだけ遠回りをしてしまったことか！
「……ありがとう！　それがきっと、僕の探し物だ」
「えっ、そうだったんですか？」
「綾辻、君は……命の恩人、それにも等しい！　本当にありがとう、感謝する。さっそく行ってみるよ！」
　綾花が言葉を返す間もなく、ぱあっと明るい表情で、サキリは駆け出します……と、その途上でふと、くるりと彼女を振り返って、
「灯台もと暗し！　ってね。綾辻の探し物も、案外近くにあるのかもしれないよ？　部屋の中でも、もう一度探してみると良いよ」
　しゅたたたたっ。やっぱり軽快に、弾むように駆けていきました。
「ああ、僕の大切なブレード……もう二度と、失くしたりしないよ！」
　そんな嬉しそうな叫びを聞きながら、綾花もまた。
「案外、近くに………………あ！！」
　不意に、思い出したのでした。



　そっと、枕を持ち上げてみますと。
「……良かったぁ……」
　思い返せば、昨晩のこと……こうしたら、王さまの夢を見られるかな？　なんて淡い期待とともに、枕の下へ指輪を入れた袋を置いて眠り、そのまますっかり、忘れてしまっていたのでした。今日に限って、朝が少々慌ただしかったのも、きっと悪かったのでしょう。
　袋の口を逆さにすると、ころりと手のひらへ転がり出てきた指輪。丁寧に造形された肉球の形を見るたび、指でそれをなぞるたび、王さまとの思い出がありありとよみがえるのです……今もまた、ほら。
　思わず、じんわり。浮かんだ雫を手の甲で拭い、綾花は指輪を指へとはめて。
「またいつか……会えますように」
　手のひらで優しく包み込み、窓の外、綺麗なオレンジ色の空へと向かって、願いました。