こどものころのおはなし｜リアクション

こどものころのおはなし

　１３　月は変わらず

　ある夜、７歳の朝鳥さゆるは星ヶ丘の家で１人、留守番していた。超多忙な両親は海外へ出かけていて不在で、通いの家政婦も既に帰宅している。広々とした屋敷の、広すぎる居間の長椅子に横たわった彼女の前では、大画面のテレビが大音量の笑い声を届けてくる。
　だが、さゆるはそれを受け取り拒否していた。
　テーブルに置かれた半分以上残した、冷め切ってしまった食事を挟み、ぼんやりとテレビに目を向けてはいるがその目は何も映していない。耳から入った情報も、何も脳に残らない。
　アニメもバラエティもドラマもニュースも、ただ、目の前を通り過ぎるだけ。
「…………」
　誰かが家の外を通りかかったら、ありふれた夜の団欒をしていると思ったかもしれない。薄いカーテンの閉まった窓からは明るい光が漏れ、明るいテレビの音が聞こえてくるのだから。
　けれど、実際の光景は団欒との縁を感じさせない寂しさしかないものだった。
　年端もいかない女の子が、無言でテレビを見ているだけ、という光景なのだから。
　寂しいから、黙っているのではない。
　寂しいから、無表情なわけではない。
　――物心ついた時から、全てが希薄だった。
　両親は、可能な限り愛情を注いでくれていたようだったし幼心にそれは判っていた。
　しかし、何もかもが遠くに感じられた。
　手を伸ばしても、どんなに駆け寄っても、遠ざかっていくばかり。
　掴めないはずの蜃気楼の方がまだ現実味を持っているような、そんな気さえしてくる。
「……！」
　ぼんやりしていたら、ばつんっ、という音と共に視界がいきなり真っ暗になった。
　パニックにはならなかった。泣き出しもしなかった。
　７歳ながら、彼女は家中の電気が消えたのだ、と、悟っていた。
（このまま、ねちゃおうかな……）
　そう思って目を瞑ったけれど、眠れなかった。
　瞼を開けると、窓から月明かりが射し込んでくるのが見えた。身を起こし、ソファに両手をついて窓を見る。薄いカーテンの隙間から、余りに綺麗過ぎて非現実的と思える月が天空を占めているのが見えた。
　無言のまま、さゆるは月を見つめた。
　先程までのように、空虚な気持ちで見つめていたのではない。
　彼女は、“何か”を感じていた。
　その“何か”をうまく表現できる言葉を持たないまま、彼女は非現実的とも感じられる美しい月を見つめ続ける。
　あの月へ、行きたい。
　ここじゃない、どこかへ行きたい。
　ここにはわたしの居場所なんてない。
　あの月へ行けないのなら――
　――わたしを殺して。

∞

「…………」

　目を開けると、部屋の中は真っ暗だった。白いベッドの上にいたさゆるは、一糸纏わぬ姿だった。傍らでは、行きずりの相手が眠っている。
　彼を起こさないように気をつけつつそっとベッドを抜け出し、窓際に歩み寄ってカーテンを静かに開ける。
　――子供の頃に見た月が、そのままの姿で浮かんでいた。
「月はあの頃見た時と同じ……でも、あたしは変わってしまった……救いようがないほどに」