悠久の時の彼方へ～赤壁炎上｜リアクション

悠久の時の彼方へ～赤壁炎上

　日は完全に暮れ、夕闇があたりを覆い始めた。気温は下がってきたが、全くの無風である。長江の南岸から、十数隻ほどの小舟の集団が音もなく漕ぎ出した。物資を積んだ船が数隻、楽士を載せた船が数隻、物資に見せかけて弓兵と大量の矢を潜ませた船が数隻、そして降伏の使者に見せかけた火計の実行部隊を載せた船が一隻である。
　物資の船には、火計に使う油と藁が満載されている。名目は、降伏の証として物資を提供するというものだ。「酒を貢いでみたらどうか」という邪衣士の案で、酒も用意した。
「お酒は燃えやすいようアルコール度数の高いものがいいわ。割るための水も欲しいと言われるかしら……。あ、水を入れる瓶に油入りの瓶を混ぜたら面白そうね」
　とは、尾鎌蛇那伊の言だ。
　酒を次ぐ人足という名目で、奴隷も献上品に入っている。その中に、白い肌と金色の髪という、目を引く容姿の奴隷が一人いた。ナタリア・シシロヴァが、珍しい異民族の女奴隷に扮しているのだ。奴隷という身分を印象づけられるよう、下着の上にボロ布を羽織っている。また、退却の時川に飛び込みやすくするためだ。この地方は冬でも15度近くと、幸い気温はあまり低くならないため、短距離なら泳げると判断した。
「やるからには、ぬかりなく。皆さんは、私を奴隷として扱ってください。恨みはしませんよ、策が発覚したときに比べれば、天国でしょう」
「……悪いわね、そんな格好させて」
　蛇那伊の言葉に、ナタリアは答えた。
「いえ、身を投じた以上、勝利のためなら何にだってなります。覚悟など必要ありません。……戦争に身を投じることも、いい経験になるでしょう。参加したからには、どのような手段を使ってでも勝利しないといけません」
　ナタリアは、すました顔でこう付け加えた。
「所詮、歴史などは勝者のつくったものなのですから」

「人殺しとか、そんなの嫌だけど、うん……」
　松谷洋志は、曹操軍の目を引く作戦のために、楽士の船に乗り込んでいる。
「ついていかなきゃ、駄目ですよね……。作戦立てた人の義務ですよね。できるだけ表にいるようにしますけど……」
　自分に言い聞かせる洋志だったが、魏軍の水軍が見えてくるとやはり腰が引けた。
「やっぱり、無理だよ……」

「来た！」
　小舟の後ろに立って長江の南岸を向いていた御剣刀は、打ち合わせ通り味方から矢が射られたのを確認すると、刃引き刀を抜いた。身を守る盾は用意していない。仕込みではないかと怪しまれるからだ。油や水を入れた瓶は、矢があたっても壊れない丈夫なものにしている。
「本気で命を賭けないと、相手を半信半疑の状態に持っていくこともできない！」
　人に当たりそうな矢は、手にした刃引き刀で片っ端から打ち落とす。
「伏せてろ！」
　周りの人間が自分を見ていない状況にすると、刀はろっこん〈加速〉を発動させた。自分の身を守れない者が傷つけられないよう、刀は無心で矢をなぎ払った。