悠久の時の彼方へ～赤壁炎上｜リアクション

悠久の時の彼方へ～赤壁炎上

　決戦に向けて作戦が整備されて数日―――新月が出る晩が決行日となった。実行の日の夕刻、ねむるたちが先行して曹操軍に潜入することになっている。
　勘助は、水筒の中の麦茶を飲み干した。勘助のろっこん〈Merman〉が発動し、彼は人魚の姿に変わる。ねむるがその肩につかまり、二人は長江の対岸へと渡っていった。
　勘助がねむるを背負う体勢で、できる限り人に見つからないように水中を潜って泳ぐ。ねむるの息が続かないときは、肩を２回叩くことで合図し、一瞬だけ水面に顔を出し息継ぎをする。
　敵軍の船の前まで近づくと、他の船からも死角になっている地点を探す。なぜか、軍船は窮屈そうにひしめき合い、鎖で繋がれていた。死角を見つけるのは割に容易だった。ねむるは、船の外側の起伏に手をかけ、音もなくよじ登る。船べりにたどり着くと、周囲から離れたところにいる兵士を探し、近づいて頭部に手を伸ばす。
　ねむるの触れた兵士は、強烈な眠気に襲われて寝入ってしまった。
「おい、どうした？」
　別の兵士が気づき、気を取られたところでもうひとり。軍船の一角に、監視の目がなくなった。ねむるは一人の兵士から衣服と剣を拝借して身につけた。兵士の方は水中の勘助に手渡す。ついでに、同じく衣服目的でもうひとり。
「彼らを本陣まで運んだら、またこの船に戻ってきてね。それまでに、全て片付けるから」

　勘助を見送ると、ねむるは何食わぬ顔で曹操軍に紛れ、他の兵士たちに声をかけ始めた。対象は、曹操配下に加わったばかりで士気の低い荊州水軍の兵士だ。

「あんた、荊州から来たんだろ？悪いことは言わない、仲間と機会を見て逃げたほうがいい」
「なんだと？そんなことをしたら首が飛ぶぞ」
「いや、今この地では魏の民も知らない風土病が流行っている。曹操は、大事な私兵を疫病で減らさないために、忠誠心の低い僕たちを前線に配置したのさ。戦か病か、このままではどのみち死を免れない」
「だが、疫病の話など聞いたことも……」
「混乱を避けるために秘密にされているんだよ。ことは一刻を争う、できるだけ多くの同胞にこの話を伝えてくれ」
「うむ……」
　兵士は半信半疑だが、疫病はやはり怖いようだ。ねむるは畳み掛けた。
「そうそう、『ネコシマから来た』という合言葉を言った人間は船に入れてやって欲しいんだ。僕も、同郷の友人をひとりでも多く助けたいからね」

「……こ、ここは一体……」
　目を覚ました兵士は驚いた。いつの間にか誰かに背負われ、川の中にいたのだ。
「……ごめん、なさい……。騒ぐと、水飲んで、溺れちゃう、と、思います……」
「！？」
　自分を運んで泳いでいるのは、なんと人魚―――の姿になった飛吹勘助だ。
「……命を奪うような、真似は、しませんから……」

　長江の南岸にたどり着くと、勘助は連合軍に兵士たちを引き渡した。
「船から、落ちて、溺れてたので……保護、してやって、ください……」
　続いて陣所で待つ仲間たちに、ねむるを計画通り送り込んだことを報告する。

「ありがとう」
　八神修は、戦利品である魏兵の装備を受け取った。
「孔明さん。こちらの陣に戻ってきた時のために、身分の証になるものをお借りしたい」
「それなら、私の筆を貸そう」
　孔明から筆を一本借りると、修は出発の準備を始めた。単身、小舟で長江を渡り、曹操軍の陣地近くに潜むのだ。
「さて……お互い無事でいよう。それから」
　修は築地哲の方を見る。
「命のやりとりは肯定しないが、役目の重要さはわかっているよ」
「……」
　哲は修の言葉に、黙ったまま目を伏せた。