知っていますか？　気付いていますか？
　寝子島は、撮影されているんです。彼らに。



【ねこまみれ】

　しゅぱん！　と、青白い燐光が弾けて。
「あっ……クロワッサン！」
　パンではありません。猫の名前です。ちょっと不思議な猫ではありましたけれど。
　綾辻 綾花は床に膝をつくと、ぞろりとした黒い毛並みに手を差し入れて、その不思議な猫を抱き上げ、
「ふふ……クロワ、いつも見えないから、心配してたんですよ？」
　もふり、と腕の中に収めました。
　いつものように猫メモを持って、休日の散歩にでも出かけようとしたところへ、しゅぱんと突然現れたこの猫。『レンズ・キャッツ』と呼ばれている彼らは、瞳の代わりにレンズ、尻尾の先にはアンテナ、そして光学的に姿を消す能力を持つ、ヘンな猫たちです。とある依頼を経て、その中の一匹と仲良くなった綾花は、猫鳴館の自室にて、名前を付けて飼うことを決めました。
　何せ普段は姿が見えないもので、お世話をするのには苦労がありつつも、そこは猫好きな綾花。愛情を込めてこうしてナデナデしてあげますと、クロワにもちゃんとそれが伝わっているようで、ごろごろふにゃんと機嫌の良さそうな声を上げてくれました。
「ああ。癒されます……」
　じじじ、じいい、とレンズがピントを合わせる音がして、見上げたクロワは綾花のほっぺを、ぺろり。
　無類の猫好き。それがどんな種類であれ、こうしてにゃんこと触れ合っているひと時こそが、綾花の何よりの幸せなのでした。
　ただ、
「……あら？　何か、聞こえますね。賑やかで楽しい……行進曲？」
　何事にも、限度というものはありまして。

♪『むっちりにゃんこマーチ』

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演奏　ユメギワ空想楽団

　こんこん、とノック。綾花の返事も待たず、がちゃりと部屋のドアが開き、入ってきたのは、
「……えっ。えっ？」
　そう、ユメギワ空想楽団！　手にした楽器はアコーディオン、小太鼓にタンバリン……リコーダー！？　今回はちょっぴり親しみやすいラインナップで、ぶかぶかどんどんぴーひょろり。
　あまりにも楽しいマーチのリズムに誘われたのでしょうか？　姿を現したのは、彼ら楽団だけではありませんでした。
「わぁ……！」
　次々に、続々と入ってくるのは……野良猫たち！
　何だか良く分からないままに、それでも綾花の猫スキー魂は騒ぎます。レンズ猫のクロワを床へ下ろしてやると、しゅばっと取り出しましたのは、お手製の猫メモ。さらさらさらり！　やってきた猫たちの一匹一匹、その毛並みやら特徴やらを手早く書き込んだり。にゃあごろろんと甘えてくる人懐こい猫には、ありがたくナデモフさせてもらったり。
　楽団の奏でる音色に合わせて、次々にやってくる猫たち。綾花は、至福！
　とはいえ、
「う、嬉しいですけど……ちょっと多すぎます……！」
　猫たちは後から後から、際限なくやってくるのです。気付けば部屋はぎっちりみちみち、猫だらけ！　みしみしと鳴りだした床が抜けてしまわないかと、心配になるほどです。
　楽団の演奏もノリノリ、猫たちはいつしかにゃあにゃあ、ふにゃん！　と大合唱！
　綾花はその中に埋もれながら、
「……でも、幸せです……」
　何だかんだで、堪能していたということです。



　賑やかなマーチが終わると、楽団員も、猫たちもぞろぞろと連なって、部屋を後にしていきます。ちょっぴり寂しさを感じながらに、綾花はクロワを再びむぎゅっと抱き上げて、
「楽しかったですね。また、遊びに来てくれるかな。今度は、一匹ずつだと嬉しいですけど……」
　苦笑いを浮かべ……そしてはたと、思い出しました。
「もしかして……これも、番組だったんでしょうか？」
　きょとん、と見上げたクロワのレンズ・アイを覗き込み、ぽつり。
「……映ってる？」



【猫と暮らす】

　場所は変わって、こちらは桜花寮。静かな部屋で、恵御納 夏朝はひとり、ぼんやりと佇んでいます。
　以前は、彼女が日々を暮らす部屋も、もう少し賑やかで活気がありました。ルームメイトと離れて一人部屋へ移動したことには、後悔はありません……けれど、ふとした時に湧き上がる、この寂寥感。
（それでも、あの子は巻き込めないから……）
　このところ、危険なことにたびたび遭遇してしまう夏朝は、自ら望んでこの部屋へと移りました。自分と一緒にいれば、きっとルームメイトにまでそれが及んでしまう……彼女はそんな事態を恐れたのです。
　自分の感じる多少の孤独と引き換えに、誰かの安寧が脅かされずに済むのなら。
（でも。やっぱり）
　それでも寂しさは、募りました。
　部屋で、猫でも飼えれば……なんて思いもすれど、桜花寮はペット禁止で、それも叶わず。
（……飼いたいな。レンズ猫さん……）
　そんな時に思い出したのが、あの、レンズ・キャッツのことでした。
　星ヶ丘のヨットハーバーで出会った、黒い毛並みのレンズ猫。夏朝自ら、可愛らしいリボンを巻いてあげた、あの一匹……彼女は最近、姿の見えないあの猫の気配を、桜花寮の周辺で感じるようになっていました。
（でも……匂いとかで、バレちゃうかも。ご飯をあげる時にも匂いが出るし、トイレとかも……）
　あの猫をもし、ここで飼うとしたなら。様々な障害が立ち塞がることは、目に見えています。
　それでも……。

♪『ころりんぐ・きゃっと』

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ネコイ・ニャンダーソン / 演奏　ユメギワ空想楽団

　ドアの外から聞こえてきたのは、まるでたくさんの子猫が、ワルツを踊っているような……楽しくて優雅な、管弦楽の音色。
「……あれ？　これって……」
　そのメロディに、夏朝は聞き覚えがありました。楽しくて聞き心地の良い曲調、タイトルに猫が入っていたこともあって、小学校の音楽の授業風景が鮮明な記憶として浮かびあがり、夏朝は懐かしい気分に浸ります。
（誰が、弾いてるのかな……？）
　不思議に思い、ドアを開いてみたなら。
　そこにはやっぱり、ユメギワ空想楽団！　廊下にずらずら、大勢の楽団員たちの中で、大きなコントラバスを弾きこなすお姉さんが、にこやかに夏朝へ会釈をしたもので、
「……えっ。あ、どうも……」
　彼女もつられて頭を下げてから、ぱたんとドアを閉めました。
　途端。しゅぱん！
「あ……」
　やけに、タイミングばっちり。現れたのは、件のレンズ猫。
　そう、タイミングは完璧でした。ドアの向こう、不思議な楽団が奏でる『ころりんぐ・きゃっと』……目の前に、レンズ猫。
「……そっか。そうだよね」
　音楽が、夏朝には何だか、自分を後押ししてくれているように思えたのです。
「僕が、気を付けてあげれば良いんだよね。ご飯の匂いとか、爪とぎとかトイレのこととか……レンズの音、あのしゅぱん！　っていう音を着信音にしたり。そっくりの縫いぐるみだって作るよ、だから……」
　そっと、抱き上げます。抵抗はありません。それを望むように、猫は夏朝の腕の中へ飛び込んできました。
「僕と一緒に、暮らそう？」
　その日、夏朝に、新しいルームメイトができました。
　名前は、『おはぎ』。黒くて丸くてふわふわで、ちょっと不思議な、とっても可愛い……大切な、同居人。