剣道部２　＜悪夢の精神統一＞

　剣道部は短い休憩時間に入る。

「刀君、そんなに一気にドリンク飲んだら体によくないわよ」
　スポーツドリンクをかぶ飲みする御剣 刀に注意する橘 千歳。
「ん、ああ。練習がしんどいとついな。気をつけるよ」
　今度はタオルで顔の汗を拭う。
「ん、どうした千歳？　大丈夫か？」
　そんな刀をボーッと見つめていた千歳。声をかけられハッとする。
「な、なんでもないわよ！」
　合宿中でありながら、剣道以外のことを考えてしまっている自分がいた。
「調子悪いなら無理するなよ」
「本当になんでもないわ！」
「そんなキレ口調で言わんでもいいのに」
（逆に心配されちゃったわ……）
　しょげる千歳。まだまだ精神に弱さがある。稽古中は相手が面を被った者同士だからか、剣道に真正面から向き合えていたはずだが、ひとたび面を脱げば心が揺れ泳いでしまっている。もっと心を一つにして、剣道を突っ走りたい。
（もっともっと意識をここだけに）
　竹刀を中段に持っていき、矛先を見つめる千歳だった。


「……ん」
　榊原 飛鳥の前に一枚の紙を差し出す南雲 銀丸。
「先輩これ……？」
　引き胴についての、イラスト付き解説紙だった。さっきの稽古で当たったときに気になったところを、紙に描いてまとめてくれたのだ。絵のタッチがなかなかファンシーで、銀丸の見た目からは想像できないほんわかした雰囲気が出ている。
「ふむふむ、なるほど分かりやすいです！　ありがとうございます」
「……分からないところがあったらまた聞いてくれ」
「はい！　大事にしますね！」
（南雲先輩って強面でちょっと声かけづらい感じだったけど、すごくいい人なのかも）
　イラストと解説を念入りに頭へイメージさせていく。

「……一応さっきの、復習用に」
　銀丸は新井 すばるにもイラスト付き解説を作っていた。小手抜き面について分かりやすく動きやコツを描いている。
「これはかたじけないですね。勉強になります」
「……また稽古やろう」
「はい。それにしても可愛いイラストですね」
　硬い表情のままの銀丸に対し、爽やかな笑顔で対応するすばるだった。


　休憩は終わり——続いては３０分間耐久精神統一だ。これがこの合宿のなかでも最も要となるものである。いつもの練習だけでは鍛えることのできない精神力を、否が応でも底上げさせることのできる、武の道を極める者には格別な鍛錬だ。

　道場に整列し正座する剣道部一同。誰一人声を出さず、音も出さず。目を閉じひたすらじっとしている。これを３０分間持続させる。
「そこ、動いたな！」
　開始から１０分と少し。矢萩 秋が姿勢を崩しかけた１年生にピシッと竹刀を突き立てる。
「１０分追加だ」
　このように、誰か一人でも動いた者がいた場合、全員の精神統一の時間が加算されていく。これが最大で６時間まで続く。

（この連帯責任ってのがくせ者だ。俺も１年のときは迷惑かけたが、今年は先輩だ。気をしっかり持たねば）
　内藤 武諭はぴしりと背筋を伸ばす。

（体を休められる、なんて言ってられないな）
　汗が頬を流れてくすぐったいのを耐えながら笹森 清真は思う。
（一瞬たりとも気が抜けない、これも修行だ）
　すぐそばをハエが飛んでくる。払いたい。払いたいが、動いてはいけない。
（きついな……気合でどうにかするしかない）

（あーのどかわいた……）
　新井 すばるの精神は虚ろだった。
（この暑さ……今日は着ぐるみじゃなくてほんと良かった）

　リハビリ中の月守 紗智は正座は厳しいので、足を崩してじっとしている。
（瞑想をよくするので、苦には感じないな）
　息を小さく吸って吐き、体の芯から熱を手の平へと送り出すイメージ。リラックスな状態をいつでもキープすることができる。
（誰か寝ちゃったりしないよね……）

（はっ！）
　風鳥院 鷲羽は閉じていた目を少しだけ開く。
（少し落ちそうでした……！　ちょこまか動いてばかりの僕にはきつい訓練ですね……）

（これはあたし得意じゃないな〜）
　伊藤 佳奈も、姿勢は全く崩れていないが、精神統一を苦手としていた。
（お爺ちゃんによく座禅組まされてたけど、気が散っちゃってフラフラしちゃって）
　この世界にもっと馴染んでいかないと、とは思っている。
（きっとこれをすればするほど、試合で緊張しなくなるんだろうなぁ。頑張ろっと）


　上座側、全員に向かい合うようにして正座する矢萩 咲は、薄目と気配で全員を俯瞰しつつ、また一方で精神の集中を高めている。
（南雲君やハルトマンさんはさすがね。迷いがまったく感じられない。時間が追加されても臆するところを見せないな）
　銀丸は表情が硬いせいもあるが、時間追加については全く意に介していない。メルヒオール・ハルトマンも時間を取れば取るほど、この後の試合に向けて気持ちが高まると感じていだ。
（１年生だと春賀さんか。まるでそこにいないかのような、もしくは別の何かが宿ったかのようだ）
　春賀 幽の異質さには身震いすら感じる。
　咲も負けてはいられない。周りへの気遣いを断って、自分と向かいなおす。

　日が高くなるにつれ道場の暑さは増す。当然冷房といったハイソなものは存在しない。道場の背にある山のほうから、ミンミンゼミがけたたましく鳴き始めた。精神統一は、時間が経てば経つほど、気持ちを一つにすることは難しかった。衣擦れの音さえしない道場内に、秋の怒号が轟く。

（また１０分追加か）
　六条 揚羽は気だるさとともに小さな息を吐く。
（楽かと思っていたが、一筋縄ではいかないな。まあでもあと２時間くらいは余裕で持つな）

（去年よりは幾分楽だな）
　副部長の伊勢 エリカは少しずつ辛くなってくる。
（他の部員たちは大丈夫だろうか。熱中症を起こしそうな部員がいたら、いち早く休ませないと）
　周りを気遣いつつ、精神統一を続ける。

　結局精神統一は１時間１０分延長された。


「はあ、去年よりも短くて済んだか。今年の１年生は結束が強いな」
　武諭が感心しながら姿勢を解く。すでに足の感覚は死んでいた。
「みんなよく水分を摂って体を休めるように」
　咲が労う。

　秋は島岡先生のそばへと寄っていた。彼女に確認したいことがあった。
「島岡先生、剣道の経験は？」
「私は未経験です」
　顔を綻ばせながら言う島岡先生に対して、秋は竹刀を肩にのせ、硬い表情を崩さず質問を続ける。
「初心者かい……どころで先生、剣道ってなんだと思う？」
「えっ、剣道ですか？」
「うん」
「そうですね。私もまだそこまで剣道を勉強をしてきたわけではないのではっきり分かっていませんが。とても深くて、崇高なものだと感じています。みんな一生懸命取り込んでいて、私は元気をもらえますね」
「ふーん、そうかい」
　スポーツと一括りにされなくてよかったとひとまず安心する秋。
「私ゃねぇ、剣道は人を育てる武道だと思っている。肉体的にも精神的にも立派な覚悟を持った傑物にするためのね」
「なるほどーやはり剣道の道を極めていらっしゃる方は、考え方が一歩進んでいますね」
「あんたにもそれを教えられる顧問になってほしいんだ。その気概はあるかい？」
「そうですね」
　休憩する部員たちを優しく見つめながら、島岡先生は続ける。
「未経験の私には武の道に一緒に立ってみんなを強くするお手伝いはできませんが、道をより進みやすいものにならできると思っています。一日でも早くみんなが強くなれるように、練習環境や体調管理には気を配ってあげたいですね」
「ふーん、そうかい」
　まあまあ合格かな、と思う秋。
「先生も試合に参加しようよー」
　部員から島岡先生に声がかかる。
「えっ、私もですか？　嫌ですよ私は……防具の付け方も知りませんし」
「教えてあげますよ先生。さっき食べたシュークリーム分くらいは動かないと、ダイエットできませんよ？」
　佳奈が言うと、周りから笑いが起こる。
「なっ……。確かにこの高校に赴任してから、お腹まわりが気になってきましたけど、まだダイエットするほどには……私そんなに太ってますか？」
「大丈夫だよー」
「お胸だけは痩せないでー」
　ギリギリセクハラアウトな発言も飛んだりするが、島岡先生は意に介さない。張りつめっぱなしだった道場内が、休憩のときだけは緩む。
（精神統一で高まった集中力が切れてしまっているが、これくらいのメリハリがなきゃ武の道は駆け上がれない。島岡先生はうちの部にとってプラスな存在かもしれないねぇ）
　島岡先生への評価を上塗りする秋だった。