目を開けると真っ黒い空間だった。
全てが黒で埋め尽くされている、他の色が一切見当たらないくらいだ。その場に佇んでいても何もおきないと思うから、おもむろに足を動かした。
自分が何処歩いているのか分からない、進んでいるのかそれともどこかに戻っているのかも把握できない。
ふっと、誰かのすすり泣く声が聞こえた。
声のする場所へ歩いていくと、スポットライトが当てられてるかのように光が射している場所があった。
光の射す場所に、小学生ぐらいの女の子が地べたに座り込んで泣いていた。
目から流れていく涙を拭いながら、嗚咽を洩らしている。女の子の髪は酷い状況だ。荒々しく切られたのか、髪の長さがバラバラだった。女の子の周りには切られた髪の毛とはさみが落ちていた。
私はこの女の子を知っている。
否、知らないはずが無い。
この子は私だ。小学校時代、あの事があってから虐められていた私自身だ。
多分、あの不思議な店であった出来事から夢の中でも思い出してしまったんだろう。
『ほーんと、酷いことしてくれるよねー。お母さんに褒めてもらった髪をあんなふうに切り落とすなんてさー』
「!?」
唐突に声が聞こえた。
急いで後ろを振り返り、言葉を失った。
明るい茶色の髪。前髪は眉辺りまで短く、長髪を一つにまとめている。少しだけ釣り目がちな空色の瞳。服装は黒いベストに黒いスカート。寝子高の制服だ。
目の前にいるのは――私だ。
私は笑顔を見せながら、右手を振った。
『やっほー。どうしたの? 鳩が豆鉄砲食らったみたいな間抜け面して』
「だ、誰!? 何で私と同じ」
『なんでって、私も高梨彩葉だからに決まってんじゃん。私も彩葉、貴方も彩葉。わたしは貴方なんだから、一緒の姿をしてもおかしくないでしょ?』
そういい、不思議そうに首をかしげた。
これは夢だ。私が作り出した夢。目の前にもう一人の私が現れるなんて、現実的じゃない。
もう一人の私は微笑み、歩き出した。
『まぁ、そんな小さなことは置いておこうよ。ソレよりも話を進めよう。そこから虐めはどうなったんだっけ?』
「……徐々に酷くなっていった」
ちいさな私の周りに様々なものが現れる。
【PL】
ノベル「貴方が望む過去」後の話
復讐をして後悔した少女
『ざまぁみろ』
「あぁぁぁっ!!」
叫びを上げながら、体を大きく起こした。
そこは私の部屋だった。私が住んでいる桜花寮の一室。
デジタル時計の無機質なアラーム音が部屋に鳴り響いている。時計を見ると、五時半。朝日が出るにはまだ早い時間だった。
「はぁ……はぁ……」
息が荒い。大きく息を吸い込み、呼吸を落ち着かせる。顔を手の甲で拭うと水滴がついていた。
汗がべっとりと顔や体から流れていた。
「……ごめんなさ、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
誰にも届かない謝罪をただ繰り返す。
謝罪をしたって何も変わらない、自分のやった過去は変えることは出来ない。
嗚咽を堪え、ただ涙を流すことしかできなかった。
もう一人の私が近づき、耳元囁いた。
『あの子が、自殺未遂起こした』
『突然、あの子が転校するって話になって、クラスメイトの噂話を聞いた。救急車で運ばれる姿を目撃したって』
クラスメイトの噂話によると、彼女は浴場で手首を切って自殺しようとしたらしい。幸い、命の別状は無かった。
数日後、アノ子は何処かの町へと引っ越した。
これが私が中学時代に起こしたことだ。
『ねぇ、私』
顔を上げると、いつの間にかもう一人の私が目の前まで近づいていた。
唇と唇が触れそうな距離でまっすぐと私の目を見て――言い放った。
『なに後悔していますって言いたげな振りしてるの?』
「な……に……」
言葉が詰まって声に出せない。
体が震える。心臓がどんどんと大きく音を立てていく。
もう一人の私は笑いながら、喋る隙を与えないかのように喋っていった。
『後悔した? ちがうよね? 本当は嬉しかったんでしょ。アノ子に復讐することが出来てさ。自業自得だって思ったんでしょ。自分を虐めたからこんな目にあったんだって!』
「違う……違う!!」
違う、違う、違う。
そんなつもりじゃなかった、ただ虐められたほうの気持ちを分かって欲しかっただけだ。自殺未遂に追い込むなんて考えてなかった。分かっている。彼女が私と同じ思いをして絶望したことも、周りから無視される辛さを知っていたはずだ。
耳を塞ぎたい、目を逸らしたい。
それでも、言葉の雨は容赦なく叩きつけていく。
『違わないよ、私はあの時歓喜していた。自分にとって最悪な出来事を引き起こした彼女に復讐できたことを嬉しく思ったんだ!』
「黙ってよぉ!」
耐え切れなくなって、私は私を突き飛ばした。
「あ……」
ぐらりとスローモーションのように、突き飛ばされた私が落ちていく。
周りがあのときの景色へと変わっていく。
夕暮れの屋上付近の階段。ドア窓から差し込むオレンジ色の日差し。
私がワザと落ちた時の状況とよく似ていた。
もう一人の私が、私を見つめたまま――哂いながら口を動かした。
その光景を見ているもう一人の私が声をかけてくる。
『ねぇ、私――間違った事いっちゃ駄目だよ』
体をこちらへと向ける。
『ちゃんと正しい言い方で言わなきゃ、ね?』
言いたくない。
言いたくない。
けど、言わなきゃいけない。
正しい事実を。
「自分から……わざと落ちた」
あの子は軽く私を突き飛ばしただけ。
そのときの力は階段を転げ落ちるほどじゃなかった。軽く足を踏ん張れば、落ちることも無かった。
けど、私は落ちた。
後ろへと体重をかけ、階段を転げ落ちていった。
ぱちぱちと拍手の音がする。よく出来たましたと言いたそうに、もう一人の私は拍手をしていた。
『その通り、大正解。私はあのこが押したんだと思わせるために、わざと落ちた。なんのため? それは、あのこは悪い人間なんだと思わせるためでぇっす。目論みは見事に大・成・功! 事情を聞く先生に泣きながら過去に虐められていたことを話すと、皆が味方になってくれましたー! しかもぉ? 小学校時代の事を知ってる奴らが、あの子がやって来たことを流して彼女は孤立しました! 挙句の果てに彼女は学校に来なくなりましたー。おめでとーございまーす』
ブレザーのポケットからクラッカーを取り出し、紐を引っ張り派手な音を鳴らした。
もう一人の私の言っていることは全て事実だ。
あの子に呼び出されたとき、報復のチャンスだと思った。今までやられてきたことを仕返ししてやろうと考えていた。
だから、わざとあのこを挑発し、突き飛ばさせた。
結果は全て喋ってくれている。
小学生時代の話が流れ、彼女は周りの人間に無視され孤立し、彼女の友達も便乗するかのように離れていった。トラブルを起こす人間の傍に居たくないというのが本音だろう。
一ヵ月後、彼女は学校に来なくなっていた。
私は平穏な学園生活を送っていた。
これでもう二度と虐められずに生活できる。小学校の嫌な思いを二度と受けずに済むんだ。
そう思っていた。
『けど、私にとって予想外な出来事が起きた』
「やだ……止めて……」
耳を塞ぎたい、この先の話を聞きたくない。
もう一人の私が近づき、耳元囁いた。
『そんな私を気に入らないのが――アノ子だった。小学生時代みたいに虐めてやろうとか考えてたんだろうね。中学に入ってできなくなったイライラしてたんじゃない?』
他のこと楽しく談笑している私、睨んでいるアノ子の姿があった。私は視線だけあの子に向けた後、すぐに戻した。
上履きを隠されたり、ちいさな備品がなくなってたりしたが小学校時代に比べたら軽いものだった。まだ虐めを続ける彼女に呆れを感じた。むしろ、哀れみに近かっただろう。
隣に居たはずのもう一人の私がいつの間にか背後にいた。
私の肩にあごを乗せ、話しかけてくる。
『で、ある日私はその子に呼び出された。屋上に続く階段でね。そこでなにがあったんだっけ?』
「…………」
そこから先は話したくない、喋りたくもない。あの出来事は思い出したくも無い。私がそんなことを言える立場じゃないことは分かってる。
うつむいてる私の顔を、もう一人の私が覗き込んできた。
『ほらほら、ちゃんと思い出さなきゃ。何があったんだっけ?』
ニヤついた笑みを貼り付けながら話を促してくる。
私は声を絞り出した。
「呼び出されて、八つ当たりされた」
次の日、あの子は私の教室まで来て呼び出してきた。言いたいことがあるから屋上の階段付近に来て欲しいと。呼び出され理由なんてくだらないことだろうと考えていた。
俯いている顔を上げると、場面が屋上の階段付近へと変わった。
彼女が私に対して何か言っている。苛立ちを感じてる様子で、何かを怒鳴りつけていた。
私は冷めた様子で見つめている。
もう一人の私が肩に顔を置く。
『それで? まだこの話は続きがあるんだよね』
知っている。
この後どうなったのか、覚えている。
忘れられるわけが無い――私が犯したことなんだから。
「……あの子に突き飛ばされて、私は階段から転げ落ちた」
怒ったあの子が私の肩を突き飛ばす。
それと同時に重力に逆らうことなく私が階段から転げ落ちていく。大きな音を立てて地面と衝突した。あの子は呆然と地面に落ちた私を見下ろしている。
音を聞きつけたクラスメイトがやってきた。倒れている私を支えたり、階段の上にいる彼女に問い詰める子達がいた。
同じ方向を見ると私の家族が居た。ホテルのシェフになって帰るのがいつも遅いお母さん、なれない家事に戸惑って疲れを見せているお父さん、中学の受験を受けるために勉強している兄貴。
皆が忙しい時に虐められてるなんて言いたくなかった。心配をかけてしまう、迷惑をかけてしまうという気持ちと、あの子なんかには負けたくないとちっぽけなプライドが邪魔をした。
もう一人の私は机から降りてこちらへと歩きながら喋る。
『虐めは卒業の日まで続いた。中学になった私は、何を考えたんだっけかな?』
拳を握る。
「復讐」
私の言葉を聞いたとたん、もう一人の私は嬉しそうな声を出した。
『そう、復讐! あのこを私と同じ目に合わせようって考えたんだよね!』
小学校に通ってる時点で、あのこと一緒の中学になることは分かっていたことだ。また、あの子の虐められる日々を味わうのだけは嫌だった。あの屈辱的で痛い思いをする日々を続けたくなかった。
だから考えた――やり返してやれ。私がされたことを、自分がしてきたことの意味を味あわせてやろう。
もう一人の私は、こっちを見て楽しそうに笑っている。
『そこからいい子を演じ始めた。授業をちゃんと聞き、先生が気に入るような優等生を演じ、やりたくもないような学級委員長を積極的に立候補するようになった』
もう一人の私が左手で指を鳴らすと、何も無かった空間に光が当てられた。中学校時代の自分が机に向って勉強をしている姿や、先生の頼みを聞いている姿だった。
中学に入ったら周りの人間を味方につけようと考えた。虐めが始まったら他の人も同調して虐めてくる。だったら、最初から先生たちを味方につけて虐められない環境を作っておけばいい。
その為に勉強を必死で成績を一定に保ったり、先生やクラスメイトの頼みを積極的に受けるようになった。
『そのおかげで周りのクラスメイトからの信頼を得ることが出来たんだよね。そこから、虐めが少なくなった。小学校時代のノリで虐めようとしてきた奴等が周りから阻害されたり、無視してきたやつらが話しかけるようになったんだっけ』
虐めていた子達が他の子に悪口を言っても、誰もまともに聞き入れようとしない姿が映った。むしろ、逆に批判されていた。その姿を見ていて心の底から気持ちがよかった。
見てみぬ振りをしてきた子達も私に話しかけることが多くなっていった。
死ね、二度と来るなと黒いペンでラクガキされ、刃物でずたずたにされた机。水を張ったバケツの中には上履きが入っている。ボロボロになったノートと折られたシャープペンシルに、中身がばら撒かれたるピンク色の丸いお弁当箱。
全部、虐められたときにされたことだ。
もう一人の私は悪戯っぽく笑いながら、人差し指を立てる。
『だーいせーかーい。これ以外にも無視や悪口は勿論あったし、お父さんが作ってくれたお弁当を目の前でぐちゃぐちゃにされたんだよね』
お弁当箱に目を移す。虐められていたとき、お父さんのお弁当を食べて元気を出していたことを思い出した。朝早く作って、私が喜ぶようにと可愛らしくアレンジされた食材。お弁当箱の中身を開いた瞬間だけ、虐めのことを忘れることが出来た。
そのお弁当もあの子によって床にぶちまけられた。
踏みつけられたときのショックは大きかった。お父さんが作ってくれたお弁当を台無しにされた。お弁当の掃除をしていたとき、涙が止まらなかったこともはっきりと覚えている。
『で、私は耐え切れなくなって先生に相談したのよね? そしたら、先生になんていわれたんだっけ』
小さい私と椅子に座っている先生の姿が映る。
先生は女の人だった。紺色のスーツの下に白いTシャツを着て、紺色のスカートをはいた三十代くらいだ。よく全身から香水と化粧のにおいを今でも覚えている。
先生が小さい私に何かを言う。小さい私は大きく目を見開き呆然とした。
もう一人の私はすぐ傍に近寄り楽しそうに見つめている。
『虐められている高梨さんにも非があるんじゃないの、だったねー。あの先生、私の虐めに気づいてわざと見てみぬ振りしたんだよね。今思えば教師として最低な先生だったなぁ』
「……」
そう、あの人はいつも見てみぬ振りを繰り返していた。
私が虐めを告げたとたんあからさまになった。お弁当をぶちまけられたときも、先生は現場を目撃していたんだろう。だけど、あの子には何も言わず私にお弁当の掃除をさせた。
もう一人の私はラクガキされた机の上に座り、足をぶらつかせる。
『誰かに助けを求めたかったけど誰にも求められなかった。お母さんはいつも忙しそうだったし、お父さんは慣れない家事で手一杯だった。兄貴は中学受験を受けてたから相談する暇もなかったもんねー』
もう一人の私が視線を別の方向へと移す。