寝子島キャンバス｜リアクション

寝子島キャンバス

　木天蓼大学の門は大きく開かれていた。実際の門扉に限らず、様々な人々を受け入れている。
　構内には家族連れの姿が多く見られた。小学生くらいの子供達が嬉々として走っている。手にはクレヨンを持ち、校舎や道に伸び伸びとした絵を描いた。至るところから楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
　道を歩きながら深縹露草は好ましい目を向けた。ブラウンの長袖シャツに黒いスラックスを穿いていた。かなりの長身で藍色めいた黒い長髪が妖しい美を醸し出している。
「素晴らしい大学デースね。私も頑張りマース」
　露草の手には学内のラウンジで手に入れたクレヨンの箱が握られていた。事前に電話で問い合わせた校舎へと足を運ぶ。
　通りを歩いて中程の校舎の横で足を止めた。
「ここデースか。道に面していて、とても広いデースね」
　露草は壁際に立った。両腕を左右に伸ばして大きさを体感した。
「この広さに負けない大作を描きたいデース。その前に用意はしっかりデースね」
　腰に下げたポーチからバンダナを取り出した。長髪が目に入らないように頭に巻く。口にはマスクを付けた。タオルは首に掛けて最後に軍手を装着。両手を組んで揉み解し、十分に手に馴染ませた。
「最初はマスキングからデースね」
　事前に用意した正方形の紙を壁面の下の方に貼り付けた。
「心の赴くままに――」
　露草は口にして瞼を閉じた。そっと自身の心に問い掛けてクレヨンを手にした。繊細な曲線が壁に描かれていく。丸い葉は萩のようだった。侘しさの中に鮮やかな色が灯る。可憐な花々は着物の秋草紋と似ていた。
　道を歩いていた人々がぽつぽつと立ち止まる。露草の絵に目を惹き寄せられた。本人は気付かず、壁面に静かな情熱を注ぐ。
　首に掛けたタオルを頻繁に喉元に押し当てるようになった。姿勢を正して両方の肩を軽く回す。
「よかったら、飲んでください」
　背後からの声に露草は手を止めて振り返る。若い女性が緑茶のペットボトルを差し出した。
「いいのですか？」
「はい、ほんの差し入れです」
「ありがとうございます」
　露草は頭を下げて受け取った。女性は自らの手首を返した。腕時計に目をやると苦笑して、頑張ってください、と労いの声を残して立ち去った。
「本当に感謝デースよ」
　マスクを下にずらした。ペットボトルのキャップを捻り、露草は口を付けて豪快に呷る。中身は口の中に吸い込まれ、大きな息を吐き出して飲み干した。
「元気をチャージ、デースね」
　声にも力が漲る。露草は作業に戻っていった。

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