寝子島キャンバス｜リアクション

寝子島キャンバス

　寝子島シーサイドアウトレットの画材店に三宅葉月の姿があった。黒いイブニングドレスを着て軽やかに踊るように店内を見て回る。しなやかな長い黒髪が背中で弾む。
「これは……」
　誰かの忘れ物のようにクレヨンが置いてあった。色の数は膨大で百五十という数字が見て取れた。目にした店主が葉月に声を掛ける。
「それだけが残ってしまったんだ。君なら使いこなせるんじゃないかな」
「今日が町長の言っていた日なのね」
「そうだよ。挑戦してみる気はあるかい？」
　挑戦という言葉に眠たげな瞳に覚醒の兆しが揺蕩う。
　葉月はクレヨンを見下ろす。迷う時間は僅かでしっかりと手に握る。店長に一礼すると店を軽やかに出ていった。

　人波に逆らって歩く。時には従順に流されて最適な場所を探す。その過程で白い壁を見つけた。表面の粗さが陽光に浮き彫りとなった。
　葉月は素通りして他を当たる。
「私のキャンバスはどこ？」
　無表情に憂いを滲ませて探して回った。
　葉月は店舗の一部に目を向ける。白い壁は縦横に十分な広さを有し、滑らかな見た目であった。そっと手を当てて撫でてみる。
「ここが私のキャンバス――」
　葉月は店内に入って絵を描く許可を願い出た。店の奥からふくよかな女性が現れた。
「店の宣伝になるような良い絵を描いてよね」
「わかりました」
　葉月の目が商品に向かう。店内の木製棚にはたくさんの色の毛糸玉が収められていた。鴇色は桜の季節の春を思わせる。コバルトブルーは夏の海。鮮やかな赤はナナカマドの秋が鮮明に蘇る。白や銀は閉ざされた冬。
　毛玉の色が四季となって葉月に語り掛けてくるようだった。
「……イメージが流れてくるわ」
　葉月は力強い足取りで店を出た。白い外壁に向き合って状態を入念に調べる。スケッチブックの代用に手帳を使って全体の構図を描き込んだ。何枚かの下絵を経て精度を上げる。
「光による色の変化も確かめないと」
　手帳に百五十色の線を引いて光に当てた。見え方の違いを見極めて絵の配色を決めていく。
　細々とした下準備を終えて葉月は白い壁に対峙した。
「覚悟を決めたわ」
　百五十色のクレヨンを携えて葉月は踊るように描いていく。クレヨンは目まぐるしく入れ替わり、壁に接して滑るように走る。細かい部分は繊細な足運びを見せた。
　買い物客の足が次々に止まる。若い男性が手に提げていたビニール袋を落とした。しばらく気が付かないで絵を見入っていた。
　白いキャンバスには人と猫の営みが表現された。
　桜の花が満開の頃、男の子が小さな猫と戯れていた。
　青い海を望む白浜で腕白そうな少年が猫と走っている。
　暖色系の枯れ葉が舞い散る中、男性の傍らに少しくたびれた猫が寄り添う。見下ろす視線は深い優しさに包まれていた。
　白い雪が降りしきる。男性が顔を皺くちゃにして泣いていた。側に猫の姿はなかった。
　それらの絵が円環となって描かれた。目にした人々にある種の感情を喚起した。目に涙を浮かべる者がいる。寒い冬から脱して生まれ変わったかのような春に笑みを浮かべる者もいた。
　四季は巡り、葉月は回る。クレヨンは縦横に走り、物語に厚みを持たせる。
　葉月というアンティークドールが描き出す世界に観客は惹き込まれていった。

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