財布が落ちている！？｜リアクション

財布が落ちている！？

　日下部青は拾った赤い財布を見ながら歩いていた。器用に手の中で回す。
「中は開けない方がいいか」
　青は顔を上げて周囲に注意を向けた。目にした人々の足が急に速くなる。
「落し物は交番に限る」
　見つけた交番に足早に向かう。運が良いことに一人の警察官が机に座っていた。書類のような物を書いている。
　青は交番の中に入っていった。
「三叉路の道端に財布が落ちていたんで届けに来ました。時間は今から十五分前くらいかな」
「それはありが……ちょっといいかな？」
　若い警察官は少し身を乗り出した。青は顔に装着したガスマスクの位置を正して、なんですか、と明るく返す。
「君の名前を教えてくれるかな」
「財布を届けるのは当たり前のことですよ」
「私は君の名前が知りたい。教えてくれるね」
　青は少し黙って、そうか、と声を出した。
「僕は謝礼を受け取るつもりはないんで、名前のことは気にしないでいいですよ。財布の中身も見ていないし」
　青は改めて財布を差し出した。警察官は渋い表情で財布を受け取り、瞬時に中身を調べた。
「それじゃあ、これで」
「少し疲れていないか。座っていきなさい」
　警察官は手前の椅子に手を向ける。そうですね、と青は遠慮なく座った。
「確かにこれは落し物なのだね？」
「そうですよ。三叉路に落ちていて僕が拾いました」
「謝礼のことはいいとして、名前は教えてくれないのかな」
　警察官は顔をゆっくりと突き出した。眉尻を上げて口元で笑う。
「あの、疲れてるでしょ？」
「ん、どういう意味かな」
「疲労が溜まると表情に出るらしいですよ。あ、バイト先の受け売りですけど」
「そうだね。君がいうようにリアルタイムで、とても疲れているかもしれないね」
　警察官の眉間と鼻筋に皺が寄る。青は似たような格好で顔を近づけた。納得した様子で頷いた。
「良い薬がありますよ、やりますか？　一気に気分が高揚して人生がバラ色になるんで」
「……おまえ、売人なのか」
「ただのバイトですよ」
「足が付きにくい短期間の売人か」
　警察官は青から目を離さず、腰に付けていた手錠にそろそろと手を伸ばす。
「足は付いていますよ。だから意外と疲れるんです」
「足が付いているだと！？」
　立ち仕事なので、と青は付け加えたが相手の耳には入っていないようだった。
　警察官の眼が青の背後の壁に注がれた。貼られていた全国指名手配犯の顔を順に見ていく。その中の一人の特徴を読み上げた。
「黒髪に短髪だな」
「そうですね」
「おまけに痩身だ」
「細い方ではあるかな。ちゃんと食べているつもりなんだけど」
　警察官はゆっくりと立ち上がった。凄味のある笑みを浮かべて青の横にきた。
「人相の特徴は、そのガスマスクを外せばわかるよな」
「ダメですよ。これは取れませんって」
「私はとても興味がある。君の素顔が見たくて仕方がない。わかるよね？」
　警察官は笑顔で両腕を広げた。眼だけが異様な光を帯びて青に迫る。
「この状況は、なんだ？」
　青は僅かに腰を浮かせて逃げる体勢に入った。