財布が落ちている！？｜リアクション

財布が落ちている！？

　エリオは背中に生えた黒い羽を自在に使って空中の散歩を楽しんだ。寄り道の果てに眼下に展望台が見えてきた。
　真っ先に朱色の野点傘に目がいく。横長の床机の端には銀が着物姿で座っていた。ふいに顔を上げて笑みを見せる。
「優しそうに見えるのになんやろ。普通やない雰囲気を持っとるわー」
　エリオは空中で立位となって羽を畳んだ。足から垂直に落下。着地の間際に羽ばたいてふわりと地面に降り立った。
「この財布、お兄さんのやろ？　届けに来たでー」
「ありがとう。でも、それはプレゼントだから受け取って欲しいな」
「ええんか？」
「もちろんだよ。ご馳走も用意したから食べていくかい？」
　エリオは満面の笑顔となった。パーカーの袖で緩んだ口元を拭う。
「その前に少し場所を広げようか。たくさん人が来るからね」
　銀は丸めた手に片目を押し当てた姿で言った。
「お兄さん、なんでわかるんや？」
　近づいてきたエリオに銀は筒状にした手の中を覗かせる。
「車の中のお兄さんが見えるわー。肩に猫がおるで」
　銀は手の向きを微妙に変えた。
「今度はロープウェイの駅やね。茶髪のお兄さんがおるわー」
「暗号を解いた人達だよ」
　銀は立ち上がると腰に下げた巾着の口を緩めた。一瞬で野点傘と床机が吸い込まれ、替わりに木製の東屋が出現した。二段の階段の先は座敷になっていた。中央に黒檀を思わせる巨大な座卓が置いてある。その上には絵付けされた大小の皿が並び、綺麗に料理が盛り付けられていた。
「お兄さん、凄いわー」
「冷めないうちにどうぞ」
　わー、と声を上げてエリオは東屋に駆け込んだ。分厚い藍色の座布団に座ると、いただくわー、と手を合わせて食べ始めた。
　解した蟹の身を箸で掻っ込む。各種の煮付けを小皿に移して合間に口の中に押し込んだ。小ぶりなお握りは手掴みで食べた。
　綾花は最後の山道を登り切った。俯き加減で立ち止まり、少し息を整える。顔を上げると驚いたような表情を浮かべた。
「いつの間に出来たのでしょう」
　東屋の傍らに立つ銀の姿を見て綾花は拾った財布を取り出した。別の手には落し物を防止する為の鈴を握る。
「財布を落とした人ですか」
「はい、そうです。あなたも召し上がっていってください。ほんのお礼です」
「その前に財布を返しておかないと」
　エリオは赤い財布を掲げて振って見せる。
「お姉さん、これはプレゼントらしいでー」
「あれは……これと同じ財布なのですか？」
「中身も同じです。他の人にも配りました」
「私は公園で見つけたのですが」
「猫達に運んで貰いました」
　銀はにっこりと笑って言った。堂々とした態度は嘘を吐いているように見えない。
　綾花は鈴を握った手を、そっとポケットの中に入れた。
「それではお金だけでも」
「明日には紙になりますので、ご心配なく」
　銀の言葉にエリオが、えー、と残念そうな声を漏らした。
「僕のお年玉も紙になるんやろか」
「残念ですが、そうなりますね。本当のお年玉はお正月に貰ってください」
　銀の言葉に、そうするわー、とエリオは間延びした声を出した。遣り取りを聞いていた綾花は口元に手をやり、狐みたいですね、と目を細めて言った。
「このような感じでしょうか」
　銀は頭を傾ける。銀色の髪の中から同色の耳が飛び出した。左右に回すように動かすと、綾花の手が自然に伸びた。
「少しくすぐったいですね」
　銀は耳を引っ込めて笑った。綾花は少し顔を赤くして、ごめんなさい、と小声で謝った。
「あ、あの、私は綾辻綾花と言います」
「私は油屋銀を名乗っています。人に興味がある一介の流れ者です」
「僕は烏丸エリオ。京都の鞍馬から来た鞍馬天狗やでー」
　唐揚げを刺したフォークを振りながら言った。
「……私だけが人なのですか」
　綾花は目を丸くして呟いた。