空を漕ぐブランコ｜リアクション

空を漕ぐブランコ

　
　
　このままあと数日も眠れば、暦も春。
　猫島家の猫たちと一緒に今日も縁側に腰掛け、ぬくぬくした陽だまりの中でまどろんでいた猫島寝太郎は、ふと目蓋を開きました。耳許で、風の音が聞こえたような気がしたのです。
「……へ？」
　寝ぼけ眼の瞳に映ったのは、自宅の見慣れた庭ではなくって、視界いっぱいの蒼、蒼、蒼。
　何ひとつ遮るもののないその眩しい青に目を細めながら、猫島はぼんやり周囲を見回します。
　さっきまで隣りで丸まっていた猫たちの姿は見えず、自分が今腰掛けているのは、１枚の素朴な白い板の上。いつの間にか握りしめていたロープを、猫島はまじまじと見つめ、それからゆっくり上を見上げてみましたが、２本のロープの線はそのまま真っ直ぐ、吸い込まれるように青のグラデーションの中に消えていくばかり。
　そこで猫島は、ふにゃりと笑ってしまいました。
「うん、夢だよねぇ。もうちょっと寝よ……」

　こてん。ロープを握った手に頭を預けて、もういちど目を閉じてみましたが、でも庭の敷石に触れる筈のつま先が、何だか頼りないのです。薄目を開けて、スニーカーの先を見下ろせば、その真下に広がっているのは、ええ、地面なんかじゃなくって、やっぱりどこまでも無限に続く、蒼い……空！
「……うわぁぁ、夢じゃないかも！？
　あっ抓っても、痛いかよくわかんないし！」
　そんなふうにパニックになって、ひとしきりバタバタ騒いだ後、ようやく猫島は空の真ん中でブランコに乗っているという、この不可思議な現象を、ともかく受け入れるのでした。
　幸い空は、ご覧の通りの良い天気。通り過ぎていく風もそよそよと肌に心地良いくらいですが、でも、こんないつ落ちるとも知れない乗り物に、まるごと命を預けているのは不安です。
　ましてや、遊ぶなんてとんでもない！　うぅ〜と俯いてしまった猫島は、そこで、
「あれ？」
　と首を傾げました。自分が今腰掛けている、このブランコの座板。白いペンキで不器用に塗られたその板に、何だか見覚えがあるような気がしたのです。
　猫島はおっかなびっくり、もぞもぞとお尻を浮かせて、もういちどそのブランコをよく眺めてみました。すると座板の表面に、釘で引っ掻いたような文字が彫られているではありませんか。辿々しいぶきっちょな文字で、『ねたろう』と。
「これ、もしかして……」
　その文字のひとつひとつを指先で辿りながら、猫島の口許に次第に笑みがこぼれました。
「ひいばあちゃんのブランコだ」

　思い出したのです。
　彼がまだ小さな子どもだった頃、曾祖母の家で寝泊まりしていた時期がありました。その曾祖母がある日、自分が退屈しないようにと、庭の木にブランコを設えてくれたのです。
　庭中に咲いた花が、いちばん良く見える特等席。寝太郎のだよ。そう言って笑った曾祖母の声に、自分も目を輝かせて駆け寄り、名前を書いていい？と聞いたのでした。
「何でこんな所にあるんだろ？」
　猫島は彫られた自分の名前を、懐かしげに指でなぞります。曾祖母もまた、その皺深い手で、彫り立ての文字のひとつひとつを嬉しそうに撫でていましたっけ。
「自分も、ひいばあちゃんが行った場所に来ちゃったのかなぁ……」
　曾祖母が亡くなったのも、やっぱりこんなよく晴れた日で。
　今見ているこの景色と同じような青空を、いつまでも見上げていたのを思い出します。

　と、……
　暖かい手にトンと背を押された感触がして、猫島ははっと顔を上げました。それに、懐かしい匂い。
　この花の匂いは、あの庭の……
　直感に首を後ろへ捻って振り返り、大きな声で報告します。
「ひいばあちゃん、俺、もうすぐ高校２年生になるよ！　みんなも元気！！」

　揺れたブランコは蒼に包まれ、笑みの気配は穏やかに遠ざかっていきました。

このページにイラストを設定する