小さな夢を抱いて｜リアクション

小さな夢を抱いて

　星ヶ丘教会の近くにある、通称蔦薔薇の館の一室にネミッサ・ネモローサは幼いながらも身を寄せていた。
　薄暗い部屋、ネミッサはベッドで眠っている。抱き締めているのは屋台で購入した縫い包みであった。

　一面が緑の芝に覆われていた。至るところに原色の花が咲いている。風に吹かれて茎を揺らし、陽気に歌う。
　ネミッサは赤くて長い髪を弾ませて走った。爽やかな色合いのエプロンドレスが躍動する。頭に付けた青いリボンが大きく羽ばたいた。
「ネミッサがアリスなのね」
　両手を広げて軽やかに舞う。歓迎するかのように花達が高らかに歌った。
「すごいわ、絵本の中みたい」
　ネミッサは咲いている花に語り掛けた。無造作に茎を掴んで一気に引き抜く。歌声の中に悲鳴と笑い声が混じり合う。
「楽しいわ。あら、そんなところにいたのね」
　ネミッサは笑顔で走り寄る。醜悪な姿のドラゴンが長い首を伸ばし、鋭利な乱杭歯を噛み鳴らす。
「この世界ではこんなに大きいのね。今日はありがとう。アナタが連れてきてくれたのよね？」
　ドラゴンは金色の眼を剥いて吠えた。背中の羽で暴風を巻き起こして一気に上空に舞い上がる。
　ネミッサは灰色の瞳を細めて空を眺めた。
「機嫌が悪いのかしら？」
　中空でドラゴンが長い首を後方に反らした。目にしたネミッサは何かを予感して横歩きとなった。
　ドラゴンの頭が前方に鞭のように振られ、開けた口から炎を吐き出した。数秒前にネミッサが立っていた場所は無残に燃え上がった。炎に包まれた花達は絶叫を上げながら激しく踊る。
「とても楽しそう」
　ドラゴンは中空でネミッサを睨み据える。本人は微笑みで受けて立つ。
「ネミッサも楽しまないとね。さあ、始めましょう。はらはらどきどきの鬼ごっこよ」
　ネミッサが走り出す。ドラゴンは火炎を吐きながら追い掛けてきた。
「アハハ、どこを狙っているの？」
　ネミッサは芝の上を軽やかに走る。憤怒の炎が毛先を焦がし、キャー、と歓喜と狂気が綯い交ぜになった声を上げた。
　動きながらネミッサは顎先に人差し指を当てる。
「逃げるだけではつまらないわね」
　スカートの中に手を入れると禍々しい形の手斧を取り出した。ドラゴンの死角になるように持つ。
　ネミッサは走る速度を落とした。愛らしい顔でドラゴンを挑発する。
「そんな高いところから狙うなんてずるいわ。アナタ、もしかして怖いの？」
　ドラゴンは大口を開けて吠えた。急降下でネミッサに襲い掛かる。
「いいわ、アナタ、いいわよ！」
　後ろ手に持っていた手斧を振り上げ、擦れ違い様にドラゴンに斬り付けた。薪が落ちるような鈍い音で前脚が切断された。断面から白い綿が食み出る。
　ネミッサはくるりと回る。ドラゴンは下顎から大量の涎を垂らして構えた。餌として認識したようだった。
「縫い包みだから痛みは感じないみたいね」
　低い唸り声が返ってきた。牙の合間から赤黒い舌をちろちろと覗かせる。ネミッサは、食いしん坊ね、と言って笑う。
「だってアナタ、ワタシの名前を食べちゃったんでしょ。さっきから思い出せないのよね、ワタシは誰？」
　ネミッサは手斧を振り被る。その姿でじりじりと間合いを詰めていく。
「アナタのお腹を切り裂いたら、ワタシの名前が出てくるかもね」
　ネミッサが凄惨な笑みを浮かべる。ドラゴンは大地を蹴って襲い掛かった。踊るように躱して一撃を浴びせた。草原を渡るような綿毛が宙を飛ぶ。
「アハハハ、食べて！　ワタシを食べて！」
　牙の猛攻を避けながら手斧を振り回す。青い空が飛散した綿毛で白くなる。
「アナタを食べて一つになるわ！」
　踏み込んだ一撃でドラゴンの頭部を刎ねた。
「もう、終わりなの？　ネミッサ、もっと楽しみたかったのに」
　絶命したドラゴンの頭部にちょこんと座り、愛くるしい笑みを作った。