小さな夢を抱いて｜リアクション

小さな夢を抱いて

　ほぼ日課となっている夜の散歩を終えて桜月が部屋に戻ってきた。パジャマに着替えてナイトキャップを被る。
「これはどうしようか？」
　抱いて眠ると夢に現れる、という売り文句に惹かれて買った犬の縫い包みであった。赤い瞳でまじまじと見て、試してみるか、とベッドの中に持ち込んだ。
　寝る姿勢を色々と試して横向きで落ち着いた。犬の背に腕を回して引き寄せる。その柔らかさに顔を埋めて深い眠りに落ちていった。

　月は品のある水色のワンピースを着て草原に立っていた。緑の濃淡が波打って見える。
「風がないのに風を感じる」
　耳を澄ますと足元から荒い息遣いが聞こえてきた。視線を向けると茶色い犬が小さな尻尾を振っていた。
「縫い包みに見えない。それに夢なのに現実感がある」
　月は一歩を踏み出した。素足なので直に感触が伝わる。
「柔らかくて少しくすぐったいな」
　犬は荒い息で、ワン、と吠えた。月はしゃがんで頭を撫でた。尻尾の振りが強くなる。
「遊んで欲しいのか。でも、私は体力がない上に体質に問題が――」
　月は驚いたような表情で立ち上がる。空には一点の雲もない。青く澄み渡った空の頂点で太陽が輝き、地上に陽光を降り注ぐ。
　月は露出した腕を見た。白く艶やかで僅かな赤みもなかった。
「こんなに強い光を浴びているのに……夢の中だから、なのか？」
　内なる喜びが表情に染み出してくる。月は犬の黒い瞳を見つめて言った。
「ここなら、私は走れるかもしれない」
　その喜びが伝わったのか。犬は元気に吠えた。
　月は草原の彼方に目を向ける。ふらりと歩き出した。犬がちょこちょこと脚を動かす。
「身体が軽い」
　少し足を速めた。腕の振りを意識して小走りになる。自身が起こした風で白い髪が後方に引かれた。犬が吠えながら付いてくる。
「今の私なら」
　四肢を思い通りに動かし、月は草原の中を走った。自然に笑みが零れた。
「この光の中で私は走れるんだ！」
　ふと大人しくなった隣に目をやると、犬は脇目も振らずに走っていた。
　瞬間、月の世界が回る。余所見をしたせいで僅かな草の変化に足を取られ、草の上を転がった。
　月は仰向けとなった。犬は側に寄って力なく鳴いた。安心させるように頭を撫でる。
「草のおかげで痛くないから」
　犬は安心した様子で、その場に座る。月は青い空を漫然と眺めた。
「真昼の空はこんなに青かったのか」
　瞼を閉じて深く息を吸い込んだ。少し胸に溜めて穏やかに吐き出す。
「これが太陽の匂いなのかな」
　目を開けた月は空に語り掛けた。安らいだ表情に何故なのか、寂しさの感情が混じる。
「どうしてだろう」
　月は自身の胸に手を置いた。側にいた犬が吠えた。
「心配してくれるのか？」
　横目で見ると犬の身なりが大きくなった。全身を覆う毛は長くなり、月を包み込む。
「夢はなんでもありだな。それにしても柔らかくて、とても温かいな」
　月は犬の脇腹の辺りにもたれた。柔らかい毛に挟まれ、何度も頬を舐められた。その間、太腿を擦り合わせるような仕草を見せた。
「くすぐったいよ。でも、ありがとう」
　犬は首を曲げた状態で頭を下げた。月は顔を傾けて微笑む。
　気持ちの良い風が草原を渡る。月と犬は向き合った姿で丸くなり、雄大な大地に抱かれて眠るのだった。

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