小さな夢を抱いて｜リアクション

小さな夢を抱いて

　三夜架月は布団に寝転がって薄暗い天井を眺めていた。徐に右手を上げる。首筋を摘ままれた猫の縫い包みであった。
「なんでこんなの買ったのかな？」
　継ぎ接ぎだらけの猫をブラブラと揺らす。項垂れた姿は仄暗い中で吊るされた人間のように見えた。
「ちゃんと綺麗になったよね」
　縫い包みを鼻に近づけて、にんまりと笑う。
「夢の中に行こうかな」
　架月は横向きになった。縫い包みの首を締め上げるような持ち方で瞼を閉じる。

　天井の蛍光灯が弱い明滅を繰り返す。薄汚く見える直線上の廊下の果ては薄闇に覆われていた。左右には無数のドアが見て取れる。
　架月は白衣を着て廊下に立っていた。両手には薄いゴム手袋を嵌めている。一方の手には包丁が握られていた。
「ここは病院で、僕がお医者さんだね♪」
　架月は歩き出す。近くにいた犬や猫の縫い包みが弱々しい姿で逃げる。左右のドアに縋っても決して開くことはなかった。
「さあ、どの子のお腹をパックリしちゃおうかなぁ」
　縫い包みは無表情で逃げ惑う。無邪気な笑みで架月が追い掛ける。一体の縫い包みがバランスを崩して転んだ。
「君に決めたよ」
　兎の片方の耳を掴んだ。適当に見つけたドアに引き摺っていく。ドアの表面を軽く押すと架月を快く迎え入れた。
　光に照らされた簡易ベッドが闇の中に浮かんで見える。兎をベッドに仰向けに叩き付けると四肢に革の拘束具が蛇のように巻き付いた。
「これから僕の身代わりを作るよー。意味はわかるかな？」
　架月の問いに兎は顔を左右に激しく振った。逃れたいが為に暴れているようにも見えた。
「そうなんだ。突然だけど、解離性同一性障害って知ってる？」
　兎は先程と同じように頭を振る。架月は呆れたような顔で言った。
「君は何も知らないんだね。あれだよ、一人の人間に複数の人格がいる状態のことだよ。わかったかな」
　兎が頭を縦に振ると架月は笑顔で頷いた。
「僕はあのシステムが羨ましい。主人格に代わってストレスを肩代わりしてくれるからね。そこで君には僕になって酷い目に遭って欲しいんだよ」
　兎は暴れ出した。しかし、四肢の拘束は完璧であった。架月は気にすることなく、話を続ける。
「僕が潔癖症になった原因を、君は覚えているよね」
　兎は再び否定した。架月は掌を顔に当てる。指の間から覗く眼が光りを失う。
「僕は小さかった。非力で無力な存在。公園で会った、知らないおじさんに逆らえなかった。あの時の穢れた手が僕を蝕んで、今でも僕を汚し続けて。大好きな家族に触れることを恐れて……苦しい、死にそうだよ。僕の心が死んじゃうよ！」
　兎は寝入っているかのように動かない。その腹部に包丁が突き立てられた。
「だから君が僕になって助けてね。まずはお腹を縦に切り裂くね」
　兎の頭が猛烈と振られる。包丁はゆっくりと切り口を広げていく。腹部からは白い綿が溢れた。
「僕の記憶を移植するね」
　その時、滑車の音が聞こえてきた。架月の横手に銀色の台が押し出された。手術に必要な道具が置かれている。その一つ、家族写真を手に取った。一気に握り潰すと兎の腹部に押し込んだ。
「それと君の未来をあげる」
　台にあった時計草を腹部の奥深くに突っ込んだ。兎は小刻みに全身を震わせる。架月は微笑みながら溢れた綿に軽く口付けをした。
「僕の心を吹き込んで、あとは縫合だね」
　縫い針を使って腹部を閉じた。兎の拘束は解かれたが動かない。ただの縫い包みになっていた。
「失敗かな？　また調達しないとダメだね」
　兎を闇の中に投げ捨てると架月は包丁を持って部屋を出ていった。

　何度となく繰り返される惨劇の果てに一体が生き残った。架月は笑顔で抱き締めた。
「ようやく完成だね。君は僕が見込んだ通りの縫い包みだよ」
　昨日の屋台で購入した、継ぎ接ぎだらけの猫は無愛想な表情で架月を見ていた。