仮装をした人々の中でもひときわ目立つオレンジの頭。
　かぼちゃをかぶった謎の奇人、ジャック・ド・サンタは、広告塔としてかぼちゃパイの台車を押しながら各ブースを回っていた。
『ヘイ、ソコノあべっく！』
　ボイスチェンジャーを介して響く奇怪な声色に、呼びかけられた八神 修と常闇 月は思わず足を止める。同行している２人の友人は新聞部としての撮影……なのか私利私欲のためなのかスイーツコーナーに向かっているため、きっと自分たちに声をかけたのだろう。
「あ、あべっく……？」
　単語の意味を知ってか知らずか、常闇はちょこんと小さく首を傾げる。
「男女２人で歩いていたら、そう思われることもあるみたいだ――何か用かな？」
　２人はそういった間柄ではないが、楽しいお祭りの空気の中ムキになって否定するのも野暮である。落ち着いた笑顔で返す八神に、ジャックは相変わらず奇妙な声で話しかける。

『イカシタおにーさん、コーイウ衣装ハ初メテカナ？』
　タイが曲がってるよ、とかぼちゃの奇人は慣れた手つきで八神の襟元を正す。
　こういう珍妙な遭遇もハロウィンイベントならではだ。苦笑いをしつつも、八神はその大きなオレンジ頭に礼を告げる。
「ありがとう、こういうのを着る機会もなかなかなくてな」
『構ワナイヨー。デートノ邪魔シテ悪カッタネ。ソレジャ！」
　学生服を脱ぎ仮装行列に加わるクラスメイトの姿を見るのも楽しいものである。ジャックはかぼちゃ頭の中で小さく笑うと、２人に手を振ってその場を後にした。


（な、なんでこんなことに……っ！）
　露出した肌にこの季節の風は少々冷たい。　

　秋風から、そして人々の視線から肌を守るように手で隠しながら歩いているのは矢萩 咲だった。校内では生真面目な風紀委員を務めている彼女であったが、今は姉の手によって魅力的な小悪魔の姿に変えられてしまっている。
　執拗に写真を撮ってくる姉からどうにか逃れた先はイベント会場。ただでさえ羞恥心でいっぱいなのに多くの人ごみに呑まれ、矢萩はへろへろに疲れきっていた。
（と、とにかく……更衣室に戻って服に着替えなおさないと……）
　一歩、勇気を出して矢萩が踏み出したときだった。
「……あれ？　ひょっとして、咲さん？」
　耳慣れた声がする。

　ぎょっとして振り向いた先には――後輩の七峯 亨が立っていた。
　スーツに狼の耳という格好をした彼は、なんだか学校で見るよりも大人びて見える。
「咲さん……意外と大胆ですね、そのカッコ」
「みっ、見るなっ！　今の咲の格好を見るなーっ！」
「み、見るなって言われても！　男だったら絶対見ますって！」
　いつもは凛とした先輩が羞恥に頬を染めて胸を隠す仕草は非常にぐっとくるものがあるが――とはいえ、愛らしいこの先輩の恥ずかしい姿が大衆に晒されているのもまた事実である。名残惜しいとは思いつつ、七峯はスーツのジャケットを脱いでその肩にかけた。
「恥ずかしいならそんな格好しなきゃいいじゃないですか。ほら」
「こ、これはっ、姉に無理矢理っ……あ、ありがとう」
　弁明しようとしたが、それよりも今はお礼が先だ。
　矢萩が素直にこくりと頭を下げたとき、２人の間に奇怪に歪んだ声が割り込んでくる。
『ヨッ、ソコノオ２人サン！　２人ニ負ケナイクライノ、熱々ノパイハイカガ？』
　ふとそちらに目を向けると、かぼちゃ頭の奇妙な人物がかぼちゃパイの台車を押しているのが見えた。
「あ、あつあつって……！」
「っと、いい匂いだな。せっかくなので食べていきません？」
　些細な言葉尻に反応してしまう矢萩とは対照的に、七峯は澄ました様子でそう言う。
　漂ってくる甘い匂いは確かに魅力的だ。
（今日はいろいろあって早くも疲れてしまったし……うう）
　ややあって、食べる、と小さな声で答える矢萩だった。
　かぼちゃの奇人に連れられるまま２人が向かった先はイートインコーナー。テーブルについて注文を頼んだところで、そういえば、と七峯は向かいに座る矢萩に改まった様子で声をかけた。
「渡すタイミングがつかめなくて……はい、咲さん。これ、日頃の感謝を込めて」
　七峯が差し出したのは花束だ。渡された花束に咲は驚いたように目を白黒させていたが、やがて小さく微笑んでありがとうと口にする。
　花か……。矢萩は目の前のかぐわしい花束に視線を落とす。
（こんなきれいな花、もらうのはいつぶりかな……）
　ふと彼女の遠い過去に意識が向きそうになったとき、テーブルに注文したパイが届いた。
「おー、うまそう！　じゃ、冷めないうちに食べましょうか」
「あ、そ、そうだな。いただきます」
　今は昔のことなど考えていても仕方ない。矢萩はいつでも明るい七峯の声に応じるようにうなずいて、目の前のパイを切り分けた。
（……おいしい）
　甘いふんわりとした香りが口いっぱいに広がる。ここを選んで正解だったようだ。
　しばらく黙々とその甘さを味わっていた２人だったが、おもむろに七峯が顔をあげた。
「ねえ咲さん……コレ、やりません？」
　その声に矢萩が顔をあげると、七峯がにこにこ笑いながらフォークを差し出している。
　そこに刺さっているのは、一口分に切り分けられたかぼちゃパイ。
「ほら、あーん、ってやつ……ね？」
　こともなげに言う七峯に、矢萩は大きく首を振ってみせる。
「な、な、何を言っているんだっ！　そ、それじゃまるで……！」
　まるでカップルのやりとりだ。
　彼からの好意は感じているし、自分も――少なからず、好きだ。
　けれど２人の間にはまだしっかりとしたそういった「確約」はない。それなのにまるで恋人同士のように振舞うことに、ただでさえ恋愛に関しては潔癖気味な矢萩がすんなり了承するはずがない。
　そう、そのはずがない――のだが。
「えー、やっぱりダメですか？　残念……」
　七峯は狼の耳をおおげさにシュンとしょげさせてみせた。
　無邪気に提案しているように見せかけて、彼は彼なりの計算があった。案の定可愛らしい狼の耳作戦は功を奏したようで、矢萩は揺れ動くような表情を見せている。
（ちょっとずるいとは思うけど……でもこの際仕方ないっ）
「ねえ、咲さん……」
　ダメ押しにともう一度七峯がそう尋ねると――顔を真っ赤にしたまま、矢萩はこくりと小さくうなずいてみせた。
「一度だけ、だぞ……ほら、あーん」
　七峯の方に少しだけ身を乗り出し、口を開ける。
　その様子に、ああ幸せ……、と言いようのない幸福感を覚えながら七峯はかぼちゃパイをゆっくりと持っていった。


「ひゃー、おアツいわねー、ホント！」
　その様子をたまたま目撃した椿 美咲紀は肩をすくめながらつぶやいた。
「アツアツでラブラブなのだ～、でも美咲紀ちゃん、我々の使命はそっちのアツアツじゃないのだ！」
　その隣で後木 真央が言いながらビシッと指差した先――２人のテーブルの上には、このハロウィンイベントのために作られた大量のスイーツが並んでいる。
「次の新聞のネタのため！　ハロウィン特製スイーツ大食い勝負！　なのですっ！」
「お菓子の紹介としての情報性に、対決というエンタテインメント性も取り入れた大目玉の記事になること間違いナシなのだーっ！」
　部のため新聞のため……といいつつも、２人の眼差しはアツくスイーツに向けられている。
「それじゃあ真央ちゃん……いざ、尋常にっ」
「勝負なのだっ！」
　戦いの火蓋は切って落とされた。
　さすがに女の子、そしてスイーツ勝負とあって食べ方はあくまではむはむもぐもぐと可愛らしいものだ。甘さにうっとりと細める目も乙女らしくて実にいい。しかしよく観察してみると――異常なのだ。食べるスピードが。
「最初は軽いムースやプリンから、と思ったけど……ふふ、軽すぎました」
「真央ちゃんはもうパイに行っちゃうのだ！　ケーキもおいしそうなのだ！」
　計画性を持って勝負に挑む椿と、本能の赴くままたいらげる後木。
　もはや誰も撮影をしていないこの勝負、果たして勝利はどちらの手に――！？